◆ 空中サーカスLtd. 『夏の終わりの朗読会』 ◆
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稽古場日記
5月某日「ジュラ紀の海」
荻原裕幸氏の短歌に登場する『ジュラ紀の海』という言葉が、稽古場で流行っている。
例えばこんな使い方をするのだ。
M「自動車の鍵がカバンから出てこない。どこ行った〜」
N「そのカバンの中、『ジュラ紀の海』になってるよ」
また、昼ごはんを食べながら、自分達の部屋の『ジュラ紀の海』度を語り合ったりもする。
(以下の会話は、本人たちの名誉のため、匿名でお送りします)
甲「今、『ジュラ紀の海』どころか、三畳紀の海状態なんです。ゴールデン・ウィーク以来、掃除機かけてないんですよ。1か月掃除機かけないと、人間じゃないですよねェ」
乙「1か月ならまだ平気だよ。でもまあ、2か月がぎりぎりかな」
丙「掃除機なんて何年もかけてないなぁ。だって、床がないし」
甲・乙「!」
丙「第一、掃除機が行方不明。ホースは見えるんだけど、本体がどこにあるか分からないんだよね」
甲・乙「ギャーーー!!」
仮に乙の部屋を「ジュラ紀の海」とすると、少しだけマシな甲の部屋は「白亜紀の海」である。しかし、丙の部屋は──イザナギとイザナミが降臨し、天沼矛(あめのぬぼこ)でコォロコォロとかき混ぜたという、天地創造の頃の海だ。次元を超越している。
何があっても丙の部屋には足を踏み入れるまい、と固く心に誓った甲と乙であった。
6月某日「ウッド某」
Mが、ウッドストックとウッドペッカーを混同していたことが判明する。
M「ウッドストックって、変な声で笑う鳥だよね」
D「それは、ウッドペッカー!」
M「じゃあ、ウッドペッカーとウッドストックの違いは何よ?」
D「漫画自体が違います」
M「そうなの?」
D「そうですよ! 知らなかったんですか!?」
M「はぁー、知らんかった。でもさあ、結局、鳥でしょ?」
荻原裕幸様。こんなことを言う奴が、『ウッドストックの憂鬱』を朗読していいのでしょうか。(その後、Mは改めて「ピーナッツ」を読んで勉強したらしい)
6月某日「消えた風博士の謎」
演出Nから、電話がかかってきた。
N「あのさあ、ネットで見たら、坂口安吾が著作権存続中ってなってるけど、どういうこと?」
M「え、坂口安吾は50年前の2月だか3月だかに死んでるんだよ、OKだよ」
N「ほんとに?」
調べてみた(トリビア風)。
正確には、著作権は、著作者が亡くなって50年経った年の終わりまで存続する。つまり、1955年2月17日に死んだ坂口安吾の場合、2005年12月31日まで、著作権は切れないのである。
Mは、ちく○文庫編集局に電話をかけてみた。
「ハイ、確かに坂口安吾の著作権は存続しています。この場合、日本文藝家協会に許諾を取って頂いて、しかる後に当社にも申請して頂かないと」
「え、ちく○さんにも!?」
「ハイ、当社の本を使われる以上、当社にも権利が発生します」
お客様の皆様、ごめんなさい。私達は貧乏です。日本文藝家協会に使用料を払った後、ちく○さんにまでお金を払う余裕なんて、ありません。
という訳で、演目・坂口安吾「風博士」は、一部で既に予告済みだったにもかからわず、問答無用で差し替えられたのであった。「風博士」の稽古に没頭していたDが、この話を聞いて悶絶したのは、言うまでもない。
7月某日「消えた蓮實重彦の謎」
蓮實重彦が「きのふから行方不明」とは、こはいかに? 本がたった一日で行方不明になるということは、一体、可能なのか、どうか?
十分可能だと言ったのは、原初の海の部屋に住む丙である。
丙「『きのふ』の前日、何か別の本を求めて、本の地層を掘っていた。その時、ちらりと目に入ったのが、蓮實重彦の本だ。そして問題の『きのふ』、突然蓮實重彦が読みたくなり、覚えのある場所を掘った。でも出てこない。今日も掘ってみた。やっぱり出てこない」
荻原裕幸様、こんな解釈でよろしいのでしょうか……?
ちなみに、丙の台詞には続きがある。
丙「寝る前に地層の一番上に置いたはずの本が、次の朝消えてたりするんだよねー。どうも、山の向こう側に滑り落ちたり、地溝に落ちこんでるみたいなんだけど」
甲・乙「……」
丙「あと、突然他の本を読みたくなって、地層を掘るでしょ。気がつくと、さっきまで読んでいた本がない。掘り出した本の山の一番下になっちゃってるんだー」
甲・乙「……」
唯一つ言えることがある。蓮實重彦が丙の部屋で行方不明になったとしたら、二度と出てこないに違いない。
7月某日「人命救助」
「お菓子を買いにいく」と言ってふらりと稽古場を出たまま、Mが帰って来ない。心配し始めた頃になってようやく、Mが息せき切って帰ってきた。
「はい、おみやげ!」
渡されたピンキーとチョコボール。
なぜか、ぬくい。
Mが喋り始めた。
「お菓子屋さん出たところでさー、手をつないだおじいさんとおばあさんが倒れてたのね。おじいさんは酸素ボンベ引きずっててすでにぜいぜい言ってるし、おばあさんは転んだまま、起き上がれない状況だったの。で、おっきな声で『だいじょぶですかー!』て叫んで意識確認して、意識があったんで話しかけて、体を支えてあげて、それから通行人に助けを求めたの。旧市街だから、通行人はわんさか集まってくるわさ。なかには、元看護師のおばちゃんやら、倒れた人の知り合いやら、車を出してやるという人やらいてね。結局、おじいさんとおばあさんの家を知ってる通りすがりのおじさんの車に乗せて、送ってあげたの。『どこのどなたか存じませんが、ありがとうございました』『いーえ、名乗るほどの者じゃございません』て言って去ったのよ。いやー、我ながらかっこよかったねえ」
ピンキーとチョコボールがぬくかったのは、買い物袋を熱いアスファルトの地面に投げ出して、介護にあたっていたかららしい。ひざをついておばあさんを支えていたMの足の皮膚には、名誉の負傷として、アスファルトのでこぼこが食い込んだ痕があった。
DとNは、ひたすら静かに感動していた。日常生活でしょっちゅうトラブルに巻き込まれる、いや、引き起こすMだが、こういうこともあるのだ、と。
8月某日「エンゼルとハート」
MとDが、チョコボールにはまっている。チョコボールの箱についているくちばしに、エンゼルマークがついていたら、何と「おもちゃのカンヅメ」がもらえるのだ。金のエンゼル1枚、もしくは銀のエンゼル5枚でもらえるのだが、くじ運の悪い2人は、未だかつてエンゼルにはお目にかかったことがない。
D「絶対、生まれてこのかた100箱は食べてます! なのに当たったことがないって、どういうこと?」
M「食べてるよねえ。どれくらいの確率でエンゼルが当たるんだろ」
語り合う2人の横で、Nがピンキーを取り出した。チョコレートとナッツが苦手なNの稽古中のおともは、おもにピンキーである。ニセ果汁の清涼菓子、丸状の小さなつぶだが、ほんの時たま、ハート型のつぶが混じっていることもあって、それがまた楽しみでもある。
おもむろに振り出した最初のひとつぶ。ハート型だ。次のつぶ。ハート型。三つ目のつぶ。ハート型。四つ目の……。
N「うわああああ!」
そのピンキーの箱に入っていたつぶは、全てハート型だった。ハート、ハート、ハート。