◆ オリジナル台本 『World's End』 ◆

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題名 World's End
作者 山本奈穂子
キャスト 10人
上演時間 90分
あらすじ 兄を殺した高校生の少女・典子。彼女は一体何故そんなことをしたのだろうか。
若い家裁調査官補の中尾は、少女の心を理解するため、周囲の人々や本人と何度も面談を重ねるが……

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注意事項



World's End



○登場人物

      *事件に関わる人々

        典子(少女)
        孝明(少女の兄)
        尾崎(兄妹の父)
        山下(少女の担任)
        北村(兄の元担任)
        吉岡(兄の友人)

      *家庭裁判所の人々

        中尾(家裁調査官補)
        片桐(家裁調査官)
        ・・・・・・・
        今井(近所の人)
        由美(中尾の妹)


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   『World's End』 作・山本奈穂子

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《一》過去

      殺人の後。
      少女が兄を支えてすわっている。


《二》現在

片桐 「ここんとこ、いやな事件ばかりだよね。あの広島の小学生
    の集団リンチ事件、聞きました? まだ十やそこらの子供
    がですよ、通りすがりの女の子をつかまえて殴ったり蹴っ
    たりしておいて、意識がなくなったのをそのまま置いて
    帰ったという。被害者の女の子は重体だそうですよ。とこ
    ろが、やった子供たちの方はといえば、気持ち悪いから置
    いて帰ったなんて言ってるんだよね。
中尾 「そうなんですか」
片桐 「本当に、世の中どこか間違ってるよ。美方さんからもらっ
    たんだけど、まんじゅう食べる?」
中尾 「いえ、結構です」
片桐 「食べないの、おいしいのに。(食べながら)奥さんのほう
    からもらったのよ。あの奥さんもね、もっとご主人の話を
    聞いてあげればいいのに。一回や二回の浮気ぐらい大目に
    みてもいいと思うんだけど。話をまるで聞こうとしないか
    ら、調停委員の人も困ってるのよ。中尾さん、新聞は読ま
    なきゃだめよ。家裁の調査官は世の中のことを知っていな
    いといけないんだから」
中尾 「(めんくらう)」
片桐 「ほら、あの小学生の事件」
中尾 「ああ、すみません。今朝は寝坊してしまいまして。これか
    らは、気をつけます」
片桐 「うんうん。それで、今日扱う事件なんだけど」
中尾 「はい」
片桐 「今日はだれからはじめるの?」
中尾 「女の子の担任の先生からですけど」
片桐 「うん」
中尾 「なんていうか、陰惨な事件ですよね」
片桐 「そうだね」
中尾 「高校生の女の子が自分のお兄さんを殺しちゃったんですよ
    ね。普通なら兄妹ゲンカでカッとして、というパターンな
    んでしょうが、これは違うような気がします」
片桐 「どうして?」
中尾 「どう言ったらいいんでしょうか。きれいすぎるんです」
片桐 「何が?」
中尾 「だって片桐さん、うしろから抱きついてナイフで一突きで
    しょう。十五歳の女の子の殺し方じゃありませんよ」
片桐 「なるほど」
中尾 「そうなんです。もしかすると、彼女はとても冷静だったん
    じゃないでしょうか」
片桐 「冷静?」
中尾 「ええ、そうです」
片桐 「じゃあ、そのあとの行動は?」
中尾 「それはわかりません」
片桐 「殺した後、兄の顔に白い布をかけて、それから手を洗って
    寝ちゃったんだよね。それが本当だとしたら、この少女は
    変わってるよね。犯行をまるでかくしちゃいない」
中尾 「何か筋の通った理由があるんだと思います」
片桐 「うん。まあとにかく、本人や関係者から話を聞いてみない
    ことにはね。資料だけでこの少女のことが理解できるん
    だったら、調査官の仕事はいらないんじゃないかな」
中尾 「すみません」
片桐 「うん。じゃがんばってね」
      
中尾 「尾崎典子さんの担任の先生でいらっしゃいますね。どうぞ
    こちらへ。調査官補の中尾です」
山下 「山下です。今度のことは大変驚きました。はじめに知らせ
    を聞いた時には何かの冗談かと思いましたわ」
中尾 「そうでしょうね」
山下 「ええ。尾崎さんは普段からまじめておとなしい子だったん
    ですよ。あの子が人殺しをするなんて信じられません。そ
    れも実のお兄さんを」
中尾 「そうでしょうね。はっきり言ってこういう事件は珍しいん
    です。なにか、よほどの事情がないかぎり、人を殺すなん
    て……まして、家族に手をかけるなんてことはありえない
    と思うんです。ですから、なぜ彼女がそんなことをしたの
    か、何が彼女をそこまでおいつめてしまったのか、私たち
    はそれを知りたいと思っているんです」
山下 「ええ、できるかぎり協力させていただきます」
中尾 「ではまず、典子さんがクラスではどんな様子だったか聞か
    せていただけますか」
山下 「そうですねえ。クラスの中ではあまり友達と話すのを聞い
    たことはありませんねえ。本当におとなしい子でした」
中尾 「クラスではめだたない方だったと」
山下 「そうですね」
中尾 「友達は多いほうでしたか?」
山下 「いえ、それほどでも」
中尾 「そうですか。そちらからいただいた資料を見せてもらいま
    したけど、いいい成績ですね」
山下 「そうですね。特に悪い教科というものもありませんでした
    ねえ。だいたい、どれもまんべんなく勉強する子でした」
中尾 「じゃあ、学校生活では特に問題はなかったんですね」
山下 「そうですね。校則もちゃんと守ってましたし。あまり、お
    話しできなくて申し訳ないんですけど……本当にふつうの
    生徒でした」

中尾 「たしか奥さんはずいぶん前に亡くされたんでしたね」
尾崎 「ええ、もう十三年くらいになりますか。典子が二歳のとき
    でしたから」
中尾 「それからずっとおひとりで」
尾崎 「そうです」
中尾 「大変だったでしょうね」
尾崎 「でもまあ、近くに保育園があって、そこに典子をいれてい
    ましたから。私も家事は好きなほうでしたし」
中尾 「お料理とかなさるんですか」
尾崎 「ええ、まあそうですね」
中尾 「典子さんもお手伝いを?」
尾崎 「いや、それがあんまり。上のほうがよくやってました」
中尾 「お兄さんがですか」
尾崎 「ええ」
中尾 「お兄さんは……孝明くんは、ご自宅から大学に通われてた
    んでしたね」
尾崎 「そうです。少し遠いんで、下宿させてもよかったんですが、
    本人がいいと言うもんで。まあ、経済的なこともありまし
    たし、あいつなりに気をつかったんだと思います」
中尾 「典子さんがまだ小さかったということもあるのかも」
尾崎 「そうですね。母親がいないせいか、家事やら、典子の面倒
    やらを孝明がよくみてくれて。だから、典子は私よりも孝
    明を頼りにしてましたね」
中尾 「仲のいいご兄妹だったんですね」
尾崎 「そうですね。……私にも何がなんだか。私は、確かに仕事
    にかまけていて、じゅうぶんに子供の面倒をみてやらな
    かったかもしれません。妻を亡くしてから、気持ちのゆと
    りがなかったのも事実です。とにかくもう、この子らを食
    べさせていかなければと必死だったんです」
中尾 「そうだったんですか」
尾崎 「いや、すみません。お見苦しいところをお見せしました」
中尾 「いえ」
尾崎 「もう、帰らせていただいていいですか」
中尾 「ありがとうございました」
尾崎 「失礼します」
      尾崎、出ていく。
      片桐が入ってくる。
片桐 「やあ、どうだった」
中尾 「失敗でした」
片桐 「うまく話がきけなかったの?」
中尾 「たぶん、私の聞き方がまずかったんだと思います。どうし
    ても客観的になれなくて」
片桐 「まあ、大丈夫だって。なんとかなる」
中尾 「そうでしょうか」
片桐 「うん」
中尾 「……頑張ります」
片桐 「次は本人の話をきくんだっけ」
中尾 「そうです」
片桐 「引き際を誤っちゃだめよ。無理だと思ったら、とっとと切
    り上げちゃったらいいのよ。次に会ったときにもう一回聞
    けばいいんだから。(激励の仕草)じゃ、頑張ってね」
      片桐、出ていく。
      中尾、ドアをあけてうながす。
中尾 「どうぞ」
      少女入ってくる。
中尾 「そこにすわって。こんにちは。まず、あなたの名前をきか
    せてくれる?」
典子 「尾崎典子です」
中尾 「尾崎さん」
典子 「(うなずく)」
中尾 「はじめまして。調査官補の中尾万紀です」
典子 「ぽ?」
中尾 「補欠の補と書いて、「ぽ」。どうぞよろしく」
典子 「よろしく」
中尾 「典子さんは高校一年生だよね?」
典子 「はい」
中尾 「クラブは何に入ってるの?」
典子 「別に何も入ってません」
中尾 「帰宅部? じゃあ、放課後は結構暇だった」
典子 「そうでもありません。いつも買い物やなんかをしてました
    から」
中尾 「買い物?」
典子 「ご飯の材料です」
中尾 「典子さんが作ってたの?」
典子 「そうです。母は私の小さい頃に死んでいないので」
中尾 「ご飯をつくるのはずっと前から?」
典子 「いいえ。高校を出るまでは兄がやってたんです。私はたま
    に手伝う程度で。兄が大学に入ってからは、帰りが遅く
    なったので、私がかわりにやることにしたんです」
中尾 「お兄さんは料理が上手だった?」
典子 「ええ、レパートリーがすごく豊富で。最初の頃、献立を思
    いつけなくてよく悩んでいたりしたんですけど、そういう
    ときはお兄ちゃんが、こういうのはどう、とか言って教え
    てくれました」
中尾 「お父さんからは?」
典子 「お父さんはあまり家にいなかったから」
中尾 「そうなの」
典子 「はい。家ではお兄ちゃんとふたりでいることが多かったで
    す」
中尾 「退屈じゃなかった?」
典子 「いいえ、いろいろ話をしてましたから」
中尾 「いろいろ?」
典子 「学校でのこととか。勉強を教えてもらったりもしました」
中尾 「えらいね」
典子 「いえ。私はあまり勉強好きじゃないんですけど、お兄ちゃ
    んが教えてやるって言うから」
中尾 「そうなんだ」
典子 「そういえば、中尾さんてちょっとお兄ちゃんに似てますね」
中尾 「そう?」
典子 「どことなく、雰囲気が」
中尾 「(とまどう)」
典子 「なんか、うれしいですね」
中尾 「(苦笑する)そう? 私はお兄さんのこと知らないから、
    よくわからないけど」
典子 「いえ、似てると思います」
中尾 「じゃあ、またお兄さんの話をきかせてくれる?」
典子 「はい。今日はこれで終わりですか」
中尾 「うん。今日はここまで」
典子 「はい。ありがとうございました」
      典子出ていく。
      片桐がはいってくる。
片桐 「お疲れさん。(まんじゅうを差し出す)まんじゅう食べ
    る?」
中尾 「結構です」
片桐 「そう。(食べる)さっき女の子とすれ違ったけど、かわい
    い子だね」
中尾 「そうですね。……」
片桐 「(黙って食べている)」
中尾 「まず、最初の担任の先生との面談ですけど、彼女はクラス
    でも真面目で目立たない生徒だったようです。先生からも
    あまり注目されないような、いわゆる手のかからない子
    だったんじゃないかと。父親も、会った印象では落ち着い
    ていて、家庭環境には問題がないように思われました。た
    だ、……」
片桐 「なに?」
中尾 「問題がなさすぎるんです。兄と妹は仲がよくて、殺すよう
    な理由が考えられないんです。当人も、兄に対してこだわ
    りなどなかったようですし、むしろ、非常に愛情を持って
    いたようなんです」
片桐 「その子自身には、問題はないわけ?」
中尾 「面談の様子では、特に。心理テストの結果でも、めだった
    徴候は見られませんし。本当に、ごく普通の子なんです」
片桐 「普通ねえ。あんまりそういう言い方は好きじゃないな。そ
    れって普通じゃない異常な子がいるということでしょう。
    誰にそんなのが決められるんだろうね」
中尾 「………」
片桐 「中尾さん、当人にはまた会って話を聞くでしょう。だから
    そんなに急いで結論を出さなくてもいいんじゃない。じゃ
    あ、私はこれから別の面談があるから、またあとで話し合
    いましょう」
      片桐出ていく。
中尾 「新米の私が、なんでこんな難しいケースを任されちゃった
    んだろう。いったい、どうしろって言うのよ」


《三》過去
      
典子 「お帰りなさい」
孝明 「ただいま、典子」
典子 「遅かったね」
孝明 「ああ、ごめん。友達と飲みに行ってたんだ」
典子 「いいなー。私なんか、ひとりでさびしくごはん食べたって
    いうのに」
孝明 「典子がはたちになったら、連れていってやるよ」
典子 「自分は高校生のときから飲んでたじゃない」
孝明 「それはまた別。典子は今日はどこにも行かなかったのか?」
典子 「うん。あ、そういえば由紀子さんに会った」
孝明 「由紀子さん?」
典子 「北村先生。前に、お兄ちゃんの担任してたでしょう」
孝明 「ああ」
典子 「お兄さんどうしてるって、きかれた。最近見かけないけど、
    やっぱり、大学の勉強で忙しいんでしょうねって」
孝明 「それで?」
典子 「由紀子さん、変わってなかった。昔はよく遊びにきてくれ
    たのに、このごろちっとも来てくれないんですねって言っ
    たらね、仕事が忙しくてごめんなさいって。久しぶりに
    会ったから、うれしくてつい話し込んじゃった」
孝明 「何を話したんだ?」
典子 「え?」
孝明 「何か、まずいことをしゃべったんじゃないか」
典子 「どういうこと?」
孝明 「しばらく会わなかったのに、なんで今頃になって……」
典子 「由紀子さんと何かあったの」
孝明 「いや、別に」
典子 「ほんとに?」
孝明 「……典子。あの人とはもう、会わないでほしいんだ」
典子 「どうして?」
孝明 「……」
典子 「お兄ちゃんは何を心配してるの?」
孝明 「……」
典子 「私が誰かに喋ると思う?」
孝明 「だったら、いいけど」
典子 「大丈夫よ。絶対に私喋らない。まだ心配そうな顔してる。
    そんなに私のこと、信用できない? 大丈夫よ、何も言っ
    たりするわけないじゃない」


《四》現在

典子 「ずっと小さい頃は、お父さんが家のことをやってたんだと
    思います。でもお兄ちゃんが中学校に入ってから仕事を変
    えて、帰りが遅くなったんです。それからお兄ちゃんが家
    事をやるようになったんです」
中尾 「お父さんは、自動車の会社に勤めていらっしゃるんだっけ」
典子 「そうです。営業でお客さんの家を回ったりしてるって聞き
    ました」
中尾 「結構、忙しそうだね」
典子 「そう思います。いつも晩ごはんが九時を過ぎますから」
中尾 「遅いんだね。それまではどうしてるの?」
典子 「家事とか。宿題をやったり」
中尾 「うん」
典子 「でも、ぼーっとしてることが多い」
中尾 「考えごとしてるの?」
典子 「いいえ。特に、何も」
中尾 「ひとりで、ぼーっとしてて、淋しくないの?」
典子 「(考え込む)さあ。わかりません。考えたことがなかった」
中尾 「そうか」
典子 「それに、ずっとひとりってわけでもなかったから」
中尾 「お兄さん?」
典子 「(頷く)待ってたら帰ってくるでしょう」
中尾 「ああ、そうか」
典子 「お兄ちゃんが帰ってきたら、いっしょにごはんを作って、
    そのうちにお父さんが帰ってくるんです。それから、みん
    なでごはんを食べるんです」
中尾 「……」
典子 「だいたいいつもそんな感じですね」
中尾 「じゃあ、そんなに淋しいとは思わなかったんだね」
典子 「そうですね」
中尾 「お父さんの帰りが遅いのも、気にならなかった」
典子 「そんなものだと思ってましたから」
中尾 「……」
典子 「ずっとしゃべらないで家にいるのも、慣れてたから、別に
    何とも思わなかった。もともと、おしゃべりな方じゃない
    し。本当です。こんなにしゃべれるのは、相手が中尾さん
    だから」
中尾 「そうなの?」
典子 「お兄ちゃんに似てるせいかな」
中尾 「前も言ってたね」
典子 「でも、やっぱりちがう」
中尾 「ごめんね」
典子 「いやだって意味じゃないんです」
中尾 「そう? 一瞬、嫌われたかと思っちゃった」
典子 「違います」
中尾 「ありがとう。じゃあ、今日はここまでにしようか」
典子 「……はい。ありがとうございました」
中尾 「じゃ、また」
      典子でていく。
      片桐はいってくる。
中尾 「今終わったところです」
片桐 「なにか進展あった?」
中尾 「そうですね。とにかく、家庭環境に問題がないのはわかり
    ました」
片桐 「(目で促す)」
中尾 「その、聞いてみると、父親にも、兄にも、まったくこだわ
    りはないというか……。本当に愛情に満ちた家庭環境が浮
    かんでくるんです」
片桐 「はっはっは。で、何が問題なの」
中尾 「それが、わかりません」
片桐 「もう少し、詳しく話してよ」
中尾 「すみません。私は、実は、兄に殺意を抱いた原因が、父親
    にあったのではないかと思ったんです。父親と面談したと
    き、あまりかまってやらなかったと言っていましたから。
    ですから、ひょっとして、彼女は愛情に餓えていて、それ
    で、周囲の関心を常に集めていた兄に、その怒りを向けて
    しまったのではないかと思ったんです」
片桐 「違ったの?」
中尾 「はい」
片桐 「まあ、世の中そんなにうまくいかないよね」
中尾 「すみません。思い込みでした」
片桐 「で、とにかく家庭には問題はないんだね」
中尾 「はい。父親が仕事の関係で帰りが遅いとは言ってましたが、
    特に不満はないようでした」
片桐 「そう。……今後の予定は?」
中尾 「もう一度、担任の先生に話を聞いてみようと思っています」
片桐 「父親には?」
中尾 「あ、父親にも聞く予定です」
片桐 「なるほど」
      ノックの音がして、若奥風の女がはいってくる。
今井 「すみません、片桐さんいらっしゃいます? あ、いたいた。
    片桐さん、実はご相談したいことがありまして。ちょっと
    お時間いただけます?」
片桐 「あー。はいはい」
中尾 「どなたですか?」
片桐 「今井さんですよ」
中尾 「片桐さんの担当者ですか?」
片桐 「そういうわけでもないんだけどね」
今井 「困っちゃってるんですよ。実はね、この間お話しした土地
    のことなんですけど、ほら、主人が店の駐車場を広げるた
    めに土地を買ったって言いましたでしょう。それで、その
    土地の一部に私道をつけることになったんです。ほら、
    ちょっと駐車場の位置がひっこんでいるもんで、通るのに
    不便じゃないかって話になったもんですから」
中尾 「あの、私は失礼したほうが」
片桐 「いや、いいよ」
今井 「あ、すみませんねえ。今井と申します。いつも片桐さんに
    相談にのっていただいてるんですよ。ほら、うちは商売を
    しているもんですから。法律上のことでいろいろと問題が
    起こった時に、片桐さんにアドバイスいただいてるんです」
中尾 「そうなんですか」
今井 「そう、それでね、その道のことなんですけど、その買った
    土地の隣に、田んぼがあるんです。その田んぼの持ち主が、
    偏屈なオヤジで、町会議員をしてるんですけど、近所では
    全然人気がないような人なんですけどね。その人が、道を
    広げたらどうかと言うんです。自分ちの田んぼを一部出し
    てやるから、その分を足して道を広げて、町内の人も通れ
    るようにしたらもっといいんじゃないかって」
片桐 「いい話じゃないですか」
今井 「いい話なんかじゃないですよ。そのオヤジがね、自分の土
    地を一部出すからその代わりに田んぼのあぜを修理しろっ
    て言うんですよ」
片桐 「田んぼのあぜですか」
今井 「そうですよ。いえね、あぜが低くて田んぼの水が道に落ち
    るかもしれないって。実際、その田んぼは、うちの土地に
    くっついていて、一メートルくらい高くなってるんで、大
    雨が降ったら水があふれることもあるんですけどね。片桐
    さん、どう思います? 別にうちが修理しなくてもいいで
    すよね」
片桐 「そんなことしなくてもいいですよ」
今井 「そうですよね。主人もそう言ってるんです」
片桐 「そうでしょうね」
今井 「ああ、よかった。主人にもそう言っときますわ。どうもあ
    りがとうございました」
片桐 「いえ、どういたしまして」
今井 「片桐さん、お仕事もう終わったんでしょ。外でお茶でもご
    一緒しませんか?」
片桐 「いや、今日はちょっとまだ仕事が残ってるんですよ」
今井 「あら、そうなんですか」
片桐 「申し訳ありません」
今井 「残念ですねえ。じゃあまた今度にしましょ。片桐さん、い
    つもご迷惑をおかけして。失礼いたします」
      今井去る。
片桐 「あー、中尾さん」
中尾 「はい」
片桐 「今日は私、もう帰るから、中尾さんも適当に切り上げなさ
    いね」
中尾 「あ、じゃあ仕事が残ってるっていうのは」
片桐 「嘘」
中尾 「お疲れさまでした」
片桐 「じゃ、お先に」
      片桐、でていく。
中尾 「お疲れさま。ほんとに、お疲れさまでした。思い込みじゃ
    仕事は出来ないってわかってるのに、私何やってるんだろ
    う。愛情にあふれた家庭。少女の環境には、何も問題がな
    いように見える。彼女が兄を殺す必要なんてどこにも見つ
    からない。だけど、見つからないだけで、理由は必ずある
    はずなのよ」
      制服姿の女の子が、顔をのぞかせる。
由美 「おじゃまします。あれ、お姉ちゃんひとり?」
中尾 「なんだ、由美か」
由美 「なんだはないでしょ。遅いから、迎えにきたのよ」
中尾 「ありがと」
由美 「今日は、片桐さんいないんだ」
中尾 「うん、さっき帰っちゃった」
由美 「そうなんだ、会えるかと思ったのに」
中尾 「何言ってるの。ここは仕事場なんだから、あんまり来ちゃ
    いけないって言ってるでしょ」
由美 「わかってる。何でひとりで居残りしてるの?」
中尾 「ちょっと、考えごとしてたのよ」
由美 「帰らないの?」
中尾 「ああ、ごめん。帰ろうか」
由美 「まだ、晩ごはんの材料、買ってないんだ」
中尾 「じゃ、買い物してから帰ろう」
由美 「うん」
      ふたり、出ていく。


《五》現在

      中尾、入ってくる。
中尾 「お待たせしました。ちょっと、面談が長引いたものですか
    ら」
尾崎 「いえ」
中尾 「(すわる)先日、典子さんに会って話をしたんですが、お
    ちついて、元気そうな様子でしたね。いろいろ話してくれ
    ました。お兄さんに、勉強を教えてもらったこととか。典
    子さんは、とてもお兄さんのkとが好きだったみたいです
    ね」
尾崎 「……確かに、仲はよかったですよ。私が話し掛けても、ろ
    くに返事もしない子でしたがね、孝明にだけは心を許して
    いたようでしたから」
中尾 「そうですか」
尾崎 「なんであいつが孝明を殺したのか、そんなことは聞かれて
    も知りませんよ。私にわかるわけがないじゃないですか。
    あんなに慕っていた兄を、どうしてあいつは殺すような真
    似が出来たのか、そんなこと、知るわけがないでしょう」
中尾 「……」
尾崎 「私は、子供らを養っていくために、必死になって働いて、
    働いて、その結果がこれだ。私が何をしたっていうんです
    か」
中尾 「尾崎さん」
尾崎 「あんたはいいですよ。そうやって、話を聞いていたって、
    所詮他人ごとなんだから。私が、近所でなんて言われてい
    るか、知ってますか? 気の毒にね、尾崎さんとこもあん
    なふうになってしまって。いったい、あそこはどういう育
    て方をしたんでしょうねって。母親がいないせいだとも言
    われましたよ」
中尾 「でも、それは」
尾崎 「ええ、私の責任じゃないですよ。でも、世間はそうは見て
    くれません」
中尾 「お気持ちは、わかります」
尾崎 「あんたには、わかりませんよ。あんたは他人だ」
中尾 「いいえ。私も、典子ちゃんのことが好きなんです」
尾崎 「もう、放っといてください。どうだっていいですよ。典子
    が、何であんなことをしたのか、知ってもどうにもならな
    い」
中尾 「いいえ。知らなければなりません。彼女のした行為には、
    何か理由があるはずです。私にも、まだわかりません。彼
    女が何を感じ、何を思って、あんなことをしたのかは。で
    も、これは、絶対に知らなければならないことなんです。
    ……正直言って、私にもどうしたらいいのか、わからない
    んです。何を、どうお聞きすれば良いのか」
尾崎 「知らないんですよ、私は。同じ家に住みながら、典子が何
    を考えていたかなんて。私くらいの年の父親は、だいたい
    こんなもんだと思いますがね」
中尾 「(聞いている)」
尾崎 「小さい頃から、内気で、やさしい子でしたよ。私らが少し
    過保護にしすぎたのかもしれません。外で遊ぶのが苦手で、
    うちに閉じこもってばかり、いましたよ。学校の友だちを
    うちにつれてこないのかって、聞いたことがあるんです。
    孝明のほうは、友だちが多くて、うるさいくらいでしたか
    らね。そしたら、お兄ちゃんがいるからいいって言うんで
    すよ。(泣き笑いの表情になる)調査官さん、典子をお願
    いしますよ。どうか、よろしくお願いします」
中尾 「はい」
      尾崎、深く頭を下げて、出ていく。

片桐 「山下先生ですね。片桐です。どうぞよろしく」
山下 「よろしくお願いします」
片桐 「先生は、何の教科を教えてらっしゃるんですか?」
山下 「国語ですけど、専門は古典です」
片桐 「古典ですか。難しそうですね」
山下 「いえ、それほどでもないですよ。まあ、専門に研究すると
    なると難しいですけど、教えるのは楽な教科なんです」
片桐 「そうなんですか」
山下 「高校で教えるのは、せいぜい文法の初歩くらいですか。深
    い内容をやるわけではないんですよ」
片桐 「先生は、クラス担任もしてらっしゃるんですよね。たとえ
    ば、ホームルームではいつもどんなことを?」
山下 「そうですねえ。この頃では、進路に関するガイダンスをし
    ています」二年生からは、進路別のクラス編成になります
    から、この時期から、将来進むべき方向を生徒自身に考え
    させているんです」
片桐 「進学校なんですねえ」
山下 「まあそうですね。生徒も、それを意識して入ってきますし」
片桐 「典子さんはどうでした?」
山下 「え? そうですね、前回面談したときには、四年制の大学
    を志望していましたけど。あの、これからあの子はどうな
    るんですか? 進学なんて、できるもんなんでしょうか?」
片桐 「それは、本人の意志の問題だと思いますけどね」
山下 「そうなんですか」
片桐 「そんなもんですよ」
山下 「でも、あんな事件を起こしてしまったことですし」
片桐 「いやいや、判事さんの判断によっては、学校にもどすって
    いうこともあるんですよ」
山下 「それは、困ります。ああいう事件を起こしたことで、みん
    な動揺してしまっているんです。クラスでも、あの子には
    いってこられると、いったいどう扱っていいのか、正直
    言って本当に困ってしまいます」
片桐 「そうですか。今日は、わざわざ来ていただいて、ありがと
    うございました。またお話を伺うことがあるかもしれませ
    んけれど、その時もよろしくお願いします。どうもありが
    とうございました」
山下 「いえ。では失礼します」
      山下、出ていく。
      中尾、入れ違いにあいってくる。
片桐 「お疲れさん」
中尾 「どうでした?」
片桐 「あんなもんでしょう」
中尾 「どうだったんですか?」
片桐 「どうもこうも。ありゃ駄目ですね。最近の学校は、みんな
    あんなもんなんでしょうか。中尾さんの学校はどうでした」
中尾 「え?」
片桐 「中尾さんのいっていた学校は、勉強ばかりのところでした
    か」
中尾 「いえ、そんなことはありません」
片桐 「さっきの先生の話だと、どうもすごい進学校だったようで
    すよ。あれじゃ、子どもがかわいそうです。学校というも
    のは、子どもにとっては、生活そのものなんですからね。
    その学校が、勉強にしか価値を置かないとしたら、勉強以
    外のところにしか能力がない子は、いったいどうしたらい
    いんですか。そうやって、子どもたちは、自分の本当の価
    値に気付かないまま、いってしまうんです。人の価値って
    いうのは、本当にいろいろなところにあるんですよ。勉強
    や、運動や、人の心をなごませるっていうのも立派な才能
    だし、車が好きだとか、パチンコがうまいとか、要は、自
    分がそれにどれだけ情熱と誇りをもてるかということなん
    です。そうでしょう、中尾さん」
中尾 「……」
片桐 「世間の価値観に惑わされないで、自分を生かせる価値観を
    持てばいいんです。まあ、一致してるにこしたことはない
    んですけどね。中尾さんのほうは何かわかりましたか?」
中尾 「本人についてなんですけど、内気な子だったとか。彼女が
    心を開いていたのは、お兄さんにだけだったようです」
片桐 「お兄さんについてはなんて言ってた?」
中尾 「友達が多かったと」
片桐 「うん」
中尾 「妹思いで、よく面倒をみていたとか」
片桐 「ほかには?」
中尾 「あまり、彼自身については、よくわかってないんです」
片桐 「そうだね」
中尾 「次は、兄の中学時代の担任に会う予定なんです」
片桐 「その人には私が会ってみたいんだけど」
中尾 「そうですか」
片桐 「うん。中尾さんがよければ」
中尾 「構いませんけど……でも、どうしてですか?」
片桐 「殺されたほうにも、何かあったんじゃないかと思って」
中尾 「あ、そうですよね。普通のやさしいお兄さんなら、殺すわ
    けないですよね」
片桐 「そう。だから、私も話を聞いてみたいんだけど」
中尾 「じゃ、お願いします」
片桐 「ありがとう。あとで報告します」
中尾 「じゃあ」
      中尾、出ていく。
      片桐、ドアを開けて呼ぶ。
片桐 「どうぞ、お入りください」
      北村、入ってくる。
北村 「失礼します」
片桐 「どうぞおすわりください。突然、お呼びたてしてすみませ
    ん。調査官の片桐です」
北村 「北村と申します」
片桐 「先生は、尾崎孝明くんの事件をご存じですか」
北村 「ええ。新聞で読みました」
片桐 「彼を担任なさっていたのは、ずいぶん前のことですよね」
北村 「そうです。もう、七、八年前になります」
片桐 「失礼ですが、先生はおいくつですか?」
北村 「三十になります」
片桐 「私と同じですね」
北村 「そうですか」
片桐 「でしたら、尾崎くんを担任なさったころは、先生になられ
    たばかりだったんですね」
北村 「私が大学を出てすぐ担任したクラスでした」
片桐 「尾崎くんはどんな生徒でしたか?」
北村 「落ちついた生徒でしたね。クラスでも信頼されていて、ク
    ラス委員をやったりしていました」
片桐 「印象的な生徒でしたか」
北村 「いえ、……実は尾崎くんのことは前から知っていたんです。
    家が近所だったものですから」
片桐 「じゃあ、妹の典子ちゃんのこともご存じでした」
北村 「ええ。仲のいい兄妹でした」
片桐 「それは近所の噂ですか、それともご自分で見て知っていた
    んですか?」
北村 「よく二人で歩いているのを見かけましたから」
片桐 「ほかには」
北村 「……裁判所では、ふたりが仲が悪かったと考えているんで
    すか?」
片桐 「いえ、ただどういう関係だったか知りたいだけなんですよ」
北村 「別に、普通の兄妹でしたよ。ちょっと、仲がよすぎるよう
    な気もしましたけど」
片桐 「どういうところで?」
北村 「そう感じただけです。あそこは母親を早く亡くしています
    し」
片桐 「ああ、そうですね。先生は、あの事件のことを、どうお考
    えになりますか?」
      間。
北村 「……つらい、事件です。典子ちゃんも苦しんだのだろうと
    思いますが、私たちにとっても、つらかったんです」
片桐 「どうもありがとうございました」
北村 「いえ」
      立ち上がって出ていく。

吉岡 「あいつとは大学で知り合ったんですよ。サークルの新歓コ
    ンパで顔をあわせたのがきっかけで、それからつきあいは
    じめたんです。結構変なやつで、ぼくとも気が合いました
    ね」
中尾 「サークルって?」
吉岡 「古美術研究会。って言っても、コンパの食い逃げってやつ
    ですか。結局ははいらなかったんですけどね」
中尾 「尾崎くんとはかなり親しかったんだよね」
吉岡 「ああ、ノートをよく貸してもらったし。家が遠いのに、授
    業にはまじめに出てたな」
中尾 「そう」
吉岡 「ほんとまじめなやつだったんですよ。そういや、バイトも
    してなかったな。今どき珍しいですよ、授業が終わると
    まっすぐ家に帰っちゃうんです。だからってつきあいが悪
    いわけでもなかったんだけど」
中尾 「そうなの」
吉岡 「あいつの家に行ったことがあるんですよ。妹がいて紹介し
    てもらいました。すごくかわいい子で、だからかなって思
    いましたよ」
中尾 「じゃ、典子ちゃんのことも知ってたの」
吉岡 「ええ。だけど、ちょっと変な子だったな……」


   #回想

      典子、入ってくる。
吉岡 「あ、典子ちゃん、こんにちは。今、お兄さん、留守なんだ、
    買い物にいってもらってて。ごめん、びっくりした?」
典子 「いいえ」
吉岡 「会うのは初めてだよね?」
典子 「はい」
吉岡 「まあまあ、座りなよ。(典子、仕方なく座る)うわさは聞
    いてたんだけど、実際に会うと、なんか照れますなあ。あ、
    ぼく吉岡っていうもんです。どうぞお見知りおきを」
典子 「どうも」
吉岡 「お兄さん、遅いね。ちょっと、見てこようか」
典子 「私が行ってきます」
吉岡 「いや、悪いから、ぼくも行くよ」
      孝明、入ってくる。
吉岡 「ああなんだ。これから迎えに行くところだったのに」
孝明 「悪い。典子、おまえなんでここにいるんだ」
吉岡 「お兄ちゃんがいると思ったから」
孝明 「勝手に入ってくるなよ」
典子 「……」
吉岡 「話相手になってもらってたんだよ。典子ちゃん、引き止め
    ちゃってごめんね」
孝明 「用がないなら、早く行けよ」
      典子、黙って出ていく。


《五》現在・つづき

      中尾、入ってくる。
中尾 「こっちも終わりました」
片桐 「うん。どうでしたか?」
中尾 「兄の孝明くんのことを、聞きました。それが、ちょっと、
    ひとことでは言いにくいんですが」
片桐 「……じゃあ、先に私から」
中尾 「すみません」
片桐 「北村先生なんですけどね。尾崎さんちの近所に住んでたそ
    うです。昔からあの兄妹のことを知っていたと言っていま
    した。(考える)仲がよすぎるくらいの印象があったよう
    ですけど」
中尾 「……」
片桐 「私はもう一度、北村先生に会ってみようかと思ってるんで
    す」
中尾 「何か、ひっかかるところがあったんですか?」
片桐 「彼女からは、もっと聞けそうな気がするんですよ」
中尾 「と言うと、孝明くんについて何かあるんですか?」
片桐 「いや、はっきりしないんだけど、何か隠してるような感じ
    なんですよ。だから、もう一度会って詳しく聞こうと。中
    尾さんのほうはどうでした」
中尾 「それが……」
      今井、入ってくる」
今井 「失礼します。片桐さん、この間はどうもありがとうござい
    ました。例の道の件ですけどね、うまくカタがつきました」
片桐 「そうですか。よかったですね」
今井 「いえね、相手も悪い人じゃないんですよ。主人は、町会議
    員をするくらいの男が、あんなみみっちいことでどうす
    るって言うんですけど。うちはこの土地では新参者ですし、
    商売なんか始めちゃったもんだから、前から住んでる人に
    は、受けが悪いんです。まあ、しかたのないことですけど。
    あ、もしかしてお邪魔でした? 何ならまた出直しますけ
    ど」
片桐 「別にいいですよ」
今井 「そう? 片桐さん、最近うちの店に来てくださらないんで
    すね。趣味が変わったとか?」
片桐 「いや、そんなことはないです。給料が入ったら、また」
今井 「よかったわ。常連さんだから、気になって。片桐さんなら
    プロでも食べていけるって、うちでも話してるくらいなん
    ですよ」
片桐 「そうですか。いや、光栄ですね」
      由美、入ってくる。
由美 「おじゃまします。もう、閉店時間ですよ」
中尾 「由美!」
片桐 「いらっしゃい」
由美 「片桐さん、こんにちは。ここって、残業が多いんですね。
    私も調査官にあこがれてたんだけど、これじゃ考えてしま
    うな」
今井 「片桐さん、この子誰ですか?」
中尾 「すみません、私の妹なんです」
今井 「そうなの。もう大きいんだから、職場には連れてこないほ
    うがいいと思いますけど」
由美 「片桐さん、このかた新しい調査官ですか?」
片桐 「いや、違うよ」
由美 「でしょうね。片桐さん、いっぺんうちに遊びに来てくださ
    い。今日はすきやきなんですけど、ご一緒にいかがです
    か?」
片桐 「すきやきですか。いいですねえ」
今井 「あ、そうそう、忘れてたわ。ケーキ持ってきたんですけど、
    今から頂きません?」
由美 「ケーキですか? 片桐さんて、ようかんとか、おまんじゅ
    うとか、和菓子の方が好きじゃなかったですか?」
中尾 「由美!」
今井 「あら、そうなんですか?」
片桐 「いえ、そういうわけでもないんですけどね」
中尾 「由美、外で待ってなさい。今お話中なんだから」
由美 「そうなの」
片桐 「ごめんね、由美ちゃん。一緒に帰るから、もう少し待って
    くれる?」
由美 「はい。じゃ、待ってる」
今井 「そういえば、昔アグネス論争ってありましたよね。私、
    はっきり言ってあれには反対でした。だって、仕事は仕事
    でしょう? それに家庭のことを持ち込むなんて、よくな
    いと思いますわ」
由美 「あら、じゃあ、あなたは持ち込んでないって言うんですか」
今井 「当然でしょ。そんな甘っちょろいこと言ってたら、商売は
    やっていけませんからね。まあ、あなたは子どもだから、
    わからないかも知れないけど」
由美 「へえ、ご商売やってらっしゃるんですか。こんなところに
    いて、お仕事のほうはいいんですか?」
今井 「店のものがいるからいいのよ」
由美 「でも経営者なんでしょ? 家裁に用事があるんならともか
    く、ただの片桐さんのファンってだけで入り浸るのは、ど
    うかと思うわ」
中尾 「由美! すみません、躾が悪くて。あんたは出なさい」
      と言って、由美をむりやり外に連れ出す。
今井 「なによ、あの言い草。ほんとに躾がなってないわ」
片桐 「申し訳ありません。根はいい子なんですよ」
中尾 「(戻ってきて)本当に申し訳ありません。家に帰ったら、
    しかっておきます」
今井 「そうした方がいいですよ。あの年頃の子は、油断できませ
    んからね」
中尾 「すみません。親がいないんで、私の責任です」
今井 「そうでしたっけ」
中尾 「父が単身赴任したので、母もついていったんです」
今井 「あら、そうなの。私、一瞬、悪いこと言っちゃったかと
    思ったわ」
中尾 「いいえ」
今井 「親がいないと、色々問題ですものね。ほら、この間も、こ
    わい事件がありましたよね」
中尾 「え?」
今井 「ほら、尾崎さんとこの。あそこも片親なんですよ。かわい
    そうに、あんなふうに子どもをなくしたんじゃ、やりきれ
    ませんよ。実は、うちは尾崎さんとも付き合いがあったん
    です。おむかいに住んでらっしゃるもんですから」
片桐 「そうなんですか」
今井 「ええ。親しくさせてもらってたんですよ。特に、奥さんが
    亡くなってからはね。孝明くんが、一生懸命、典子ちゃん
    の面倒を見てね。近所の私たちも、気を付けてはいたんだ
    けど、妹のことは自分がしますって言って。典子ちゃんが
    中学校の時、熱を出して寝込んだことがありましてね。孝
    明くんたら、見るもかわいそうなくらい、うろたえちゃっ
    て。大学を休んで看病してましたよ」
片桐 「それはすごいですね」
今井 「ええ、度をこしてましたよ、あの兄妹は。典子ちゃんのク
    ラスメートが、授業のプリントを持って来たら、追い返し
    ちゃうんですよ。相手が男の子だったから、孝明くんたら、
    やきもちやいたのかしらね。典子ちゃんの着替えも、やっ
    ちゃうんですよ。私がやってあげるって言ってるのにね。
    それにしても、あんなに仲のいい兄妹が、どうしてあんな
    ことになっちゃったのかしらね。あ、もしかして、片桐さ
    ん、この事件ご存じなかった? 私、まずいことしゃべっ
    ちゃったわ」
片桐 「いえいえ、お気になさらずに。ここだけの話ということで」
今井 「そう? なら、いいんですけど。まあ、こんな時間! 悪
    いですけど、失礼しますね。なんだか、店のことがきに
    なっちゃって。片桐さん、このケーキ召し上がってくださ
    いね。じゃあ、さようなら」
      今井、去る。
中尾 「片桐さん、さっきの話……」
片桐 「そうだね」
中尾 「私も、似たようなことを聞いたんです。吉岡くんから」
片桐 「お兄さんの友達だっけ?」
中尾 「はい。一度、家を訪ねたらしいんです。その時に、典子
    ちゃんにも会ったと言っていました。・・・・・・やっぱり、変
    だったらしいんです」
片桐 「どういうふうに?」
中尾 「それが、たとえば、典子ちゃんがお茶をもってくるとする
    でしょう。普通だったら、邪魔だから入ってくるなとか言
    いますよね。ところが、孝明くんはそういう感じじゃなく
    て、妹を吉岡くんの目に触れさせたくないみたいで」
片桐 「……」
中尾 「なんていうか、奇妙な印象だったそうです」
      間。
片桐 「私、もう一度北村先生に会うから、中尾さんは典子ちゃん
    に会って、そこらへんのところを聞いてみてくれる?」
中尾 「わかりました」
      由美、顔を出す。
由美 「お話、まだですか? そろそろ、おなかすきません?」
片桐 「ああ、ごめんね。もう、終わりだから。ほんとに、お邪魔
    していい?」
中尾 「ええ、どうぞ」
由美 「どうぞどうぞ、大歓迎です」
片桐 「今井さんにもらったケーキだけど、食べる?」
由美 「ケーキはケーキですから」
片桐 「じゃ、お疲れさん」
      三人、出ていく。


《六》現在

中尾 「この事件の調査を始めてから、一週間たった。事件の真相
    はまだわからない。もしかしたら、私たちの考えがあたっ
    ているかもしれないけど。仲のいい兄妹、仲のよすぎる兄
    妹……。まわりが何と言おうと、実際のところどうだった
    のかは、典子ちゃんに聞くしかないのよ。彼女はいったい、
    お兄さんのことをどう思っていたのだろう……」

片桐 「先日お聞きした内容で、ちょっと気になる点があったので、
    またお呼びしてしまいました。何度も来ていただいて申し
    訳ありません」
北村 「いえ」
片桐 「先生は、典子ちゃんを小さい頃からご存じでしたね」
北村 「はい」
片桐 「孝明くんのことも、ですよね」
北村 「ええ、知っていました」
片桐 「小さい頃の孝明くんは、どんな子供でしたか?」
北村 「え?」
片桐 「孝明くんが、どんな子だったかご存じでしょう」
北村 「どんなって言われましても……、ごく普通の子でした」
片桐 「普通ですか」
北村 「ええ」
片桐 「普通という言葉は、使い方が難しいですね。先生も教育者
    ですし、ご存じだと思いますけど、普通っていうのは、実
    は基準がないんですよね」
北村 「……どこにでもいるという意味で言ったんですけれども」
片桐 「そうですか。どこにでもいる子が殺されるというのも、変
    な話ですね。先生、何でもいいですから、彼について教え
    ていただけませんか」
北村 「あなたは、孝明くんに、殺されるだけの原因があったと
    言ってらっしゃるんですか」
片桐 「そうです」
北村 「あんまりです。だって、孝明くんは被害者なんですよ。あ
    なたがたは、死んでしまった人をつかまえて、悪いのはお
    まえだって言うつもりですか。私は孝明くんを知ってます
    し、典子ちゃんのことも知っています。けれども、ふたり
    がどうしてああなったしまったのかは、あのふたりにしか
    わからないことなんです。孝明くんのことは、もう、そっ
    としておいてあげてください」
片桐 「……そっとしたいのはやまやまなんですけどね。このまま
    じゃ、亡くなった孝明くんも浮かばれないと思いませんか」
北村 「なんてこと言うんです、あなたは」
片桐 「いや冗談です。先生が本心とちがうことをおっしゃるもの
    ですから、私も合わせようと思いまして」
北村 「私が、嘘をついているとでも言いたいんですか」
片桐 「そうですね。本当のことを話していただける方がうれしい
    ですね」

典子 「よく、私はブラコンって言われるんです。たしかに、お兄
    ちゃんのことはかっこいいと思ってたし、ほかの男の子を
    見ても、ついお兄ちゃんと比べてしまったり……」
中尾 「そういうことって、あるかもね」
典子 「お兄ちゃんは、でも、本当にかっこよかったんです。だか
    ら、もし男の子とつきあうんだったら、お兄ちゃんみたい
    な人がいいなって思ってました」
中尾 「学校で、気になる人はいなかったの?」
典子 「いませんでしたね。理想が高すぎたんでしょうか」
中尾 「うん、少女マンガでもあるよね。お兄さんが、頭が良くて、
    スポーツマンで、おまけに超美形だという。そのお兄さん
    は当然、女にもてるんだけど、妹はそれを快く思わないわ
    けよね。お兄さんが家に連れてきたガールフレンドについ
    ついいやみを言ってしまって、あとで自己嫌悪に陥ったり
    ……」
典子 「あの、そういう意味じゃないんですけど」
中尾 「あ、ごめん。だいたいパターンとしては、実は兄も妹のこ
    とが好きなのよ。おまけにふたりは実の兄妹ではなかった
    という。典子ちゃんは、そういうマンガ読んだことない?」
典子 「すこしなら、ありますけど」
中尾 「どう思った?」
典子 「……なんのことですか?」
中尾 「マンガのことよ」
典子 「どうって……マンガだなあと」
中尾 「現実とは違うよね。だいたい、そんなうまくいくわけがな
    い。妹がいくら思っていても、お兄さんが応えてくれると
    は限らないし。その上、血がつながらないからタブーには
    ならないでしょ。そんな都合のいい話、あるわけないよね」
典子 「そうですね。そう思いました」
中尾 「典子ちゃんに聞きたいの。典子ちゃんは、お兄さんのこと
    を、本当はどう思ってたの?」
典子 「……」
中尾 「こんな聞きかたして、卑怯だとは思うんだけど。でも、典
    子ちゃんから、本当のことを聞きたいのよ」
典子 「……」
中尾 「話してほしいんだけど」

北村 「典子ちゃんと孝明くんを、昔から知っていたと言いました
    が」
片桐 「ええ」
北村 「典子ちゃんは、私のことをまるで姉のように慕ってくれま
    した。私が大学に行ってからは、そう会うこともなかった
    んですが、それでも、帰省した折などは、よくふたりの家
    に遊びに行ったものです」
片桐 「(頷く)」
北村 「教師になって、私が孝明くんの担任になってからは、そう
    いったつきあいは好ましくありませんから、距離を置くよ
    うにしました。その頃から、孝明くんは何故か、私に警戒
    しているようで、学校で話し掛けても、返事をしてくれな
    くなりました。まあ、反抗期ですし、そんなものかなと私
    も思って、あえて踏み込むようなことはなかったんです。
    けれども、典子ちゃんは相変わらず、道で会っても話し掛
    けてきて、私もつい、かわいくなって相手をしたものです。
    ……」
片桐 「典子ちゃんはまだ小さかったんですよね。小学生ですか」
北村 「ええ、そうです」
      間。
北村 「彼女はまだ幼くて、その話の異常さがわかってなかったん
    だと思います」
片桐 「異常ですか」
北村 「典子ちゃんは、お話ししたように、まだ小学生でした。そ
    の彼女に、孝明くんは、その、兄妹の愛情表現としても、
    行きすぎなくらい……」
片桐 「異常なことをしたんですか」
北村 「異常というわけではありません。ただ、孝明くんは、典子
    ちゃんがかわいかったんだと思います。(片桐の顔を見
    て)孝明くんは、もう家にこないで欲しいといいました。
    もう、自分たち兄妹に、かかわらないで欲しいと。私も、
    同意しました。……」


《七》過去

典子 「何考えてるの?」
孝明 「何も考えてないよ」
典子 「嘘。考え込んでるような顔してた」
孝明 「気のせいだ」
典子 「お兄ちゃんはいつもそうよ。私の話をきいてないでしょ」
孝明 「きいてるよ。話があるんだろ」
典子 「ほらきいてない。私の話をきいてって言ってるの」
孝明 「だから、なんだよ」
典子 「もういい」
孝明 「いいわけがないだろう」
典子 「お兄ちゃんはいつも退屈そうな顔してるのね」
孝明 「そんなことはない」
典子 「してるわよ」
孝明 「やつあたりするのはやめろ。何が気に入らないのか知らな
    いけど、そんなこと言うくらいだったら、出ていってくれ」
典子 「怒らないでしょ」
孝明 「怒ってないじゃないか。ただ、出ていって欲しいと言って
    るんだ」
典子 「私のことが気に入らないのね」
孝明 「おまえがいるせいで、ぼくの生活はめちゃくちゃだ。この
    ままだと、ぼくはもうじき駄目になる。分かるんだよ、自
    分がだんだんおかしくなっていくのが。朝、目が覚めると
    おまえのことを思う。おまえと自分のことを考える。この
    世界がなくなって、すべてのものが死に絶えたあとでも、
    やっぱりおまえはここにいて、ぼくを待っているんだろう。
    だから、ぼくは帰らずにはいられない。おまえの待つこの
    うちへと、帰ってこずにはいられないんだ」
典子 「お兄ちゃんは、私がいないと生きていけないのよ」
孝明 「そのとおりだ」
典子 「私がいないと、お兄ちゃんは、しゃべることも、笑うこと
    も、なんにも、できないのよ」
孝明 「わかってるよ」
典子 「私がいるせいでなんて言わないで。そうしたのは、お兄
    ちゃんなんだから」
孝明 「もう、どうしようもないのか」
典子 「昔、お父さんにないしょで、子猫を飼ってたことがあった。
    捨ててきなさいって言われたけど、あんまりかわいそうで、
    捨てられなかった。毛がぼさぼさしてやせてるの。ダンボ
    ールにいれて、ふたをして、押し入れに隠しておいたの。
    学校から帰ってみたら、死んでたわ。箱の中はどろどろで、
    私、どうしてもさわれなかった。押し入れの中で、猫がだ
    んだん腐っていくのね。いやなにおいがするから、何とか
    しなきゃと思うんだけど、結局そのまま。お兄ちゃんは、
    あの猫と同じね」
孝明 「ぼくは、いつかこの妹に殺されるだろう」
典子 「お兄ちゃんは、私が箱から取り出して、埋めてあげるまで、
    何にも出来ないのよ。私が押し入れを開けるまで、じっと
    そこで待ってるしかないの」
孝明 「ぼくには何も出来ないのか。いつか、こいつに殺されるま
    で、ただ待ってるしかないのか」
典子 「もうじき、桜が咲くのね。子供の頃、よく遊んだ小さな公
    園に、いっぱい桜があるの。春になったら、ふたりで行こ
    う」
孝明 「おとなしくこいつにころされてやる義理はない。こっちが
    先にやってしまえばいいんだ」
典子 「ね、お兄ちゃん」
孝明 「殺すしかない、もう」


《八》現在

片桐 「どうでしたか?」
中尾 「もうちょっとだったんですけど……」
片桐 「中尾さん、報告はもうちょっとわかりやすく」
中尾 「兄との関係についてきいてみたんですけど、肝心なところ
    で黙ってしまって。心を開いてくれそうな気配はあったん
    ですけど」
片桐 「で、結局うまくいかなかったんだね」
中尾 「手応えはあったんです」
片桐 「そう、よかったね。北村先生の方からは、いろんな話が聞
    けましたよ。あの兄妹とつきあいがあったそうで、彼女に
    言わせると、きっぱり近親相姦の関係だったようです」
中尾 「本当に、そういう言い方だったんですか:
片桐 「いや、彼女の言い方は非常にソフトだったんですけどね、
    要するにそういうことです。典子ちゃんの殺人の動機も、
    そこらへんにあったんじゃないかと」
中尾 「もっと、デリカシーのある言い方はないんですか」
片桐 「デリカシーって何ですか」
中尾 「当人たちの気持ちを、もっと尊重できないんですか、あな
    たは。近親相姦だなんて、そんな言い方しないで下さい。
    典子ちゃんだって、苦しんでいるんです。いいえ、当人た
    ちだけでなく、周囲の人たちも、同じように苦しんだはず
    です。どうして、あなたには分からないんですか」
片桐 「私情を挟んじゃいけませんよ、中尾さん」
中尾 「そんなんじゃありません」
片桐 「今の中尾さんは、非常に感情的になっているように見えま
    すがね。少し頭を冷やした方がいいと思いますけど」
中尾 「私が感情的になっているとすれば、片桐さん、あなたの発
    言に対してです。調査官の仕事は、家裁に来る人たちを、
    分かってあげることから始まるんじゃないですか? なの
    にあなたは、彼らの怒りや、悲しみや、つらさや、そう
    いった感情を理解しようとはしないんですね」
片桐 「理解することと、同調することは違います。彼らの感情に
    押し流されることは許されないんですよ。私たちに求めら
    れているのは、冷静な第三者の視点なんですからね」
中尾 「私たちは、分かり合えないようですね」
片桐 「なにバカなこと言ってんですか。いいですか、中尾さん。
    人のために仕事をするなんて、幻想に過ぎませんよ」
中尾 「どうしてそんなことが言えるんです」
片桐 「ちょっと待って、まだ続きがありますよ。私たちの仕事は、
    正確なデータを収集することにあります。一言で言ってし
    まえばそういうことなんですよ。データに私情を交えるこ
    とは許されない。まさに機械的な作業なんです。人のため
    にというのも、結果としてそうなるだけの話です。人のた
    めに仕事をする、たいへん立派な態度だけど、何か違うよ
    うな気がするんですよね」
中尾 「……」
片桐 「中尾さんも、そう難しく考えずに。与えられた役割の範囲
    内で、最善を尽くすだけのことです。中尾さんはよくがん
    ばっていると思いますよ」
      片桐、去る。
中尾 「疲れちゃった。北村先生の話って、結局、なんだったんだ
    ろう。議論に熱中しちゃって、何もかも、うやむやになっ
    てしまったような気がする。とりあえず、もう一回、典子
    ちゃんに会って話をしないと。あそこまで進んだんだから、
    次こそ、彼女も心を開いてくれるかもしれない」
      中尾、座る。
      典子、入ってくる。
中尾 「前回、マンガの話をしたよね。典子ちゃんのお兄さんは、
    私にはまるで少女マンガに出てきそうなタイプに思えるん
    だけど、典子ちゃんにとってもそうなのかな?」
典子 「さあ」
中尾 「そんなふうに考えたことはなかった」
典子 「はい」
中尾 「じゃあ、かっこいいと言っても、もう少し身近にいそうな
    感じだった? 美形で頭が良くて、スポーツも得意なんて
    いう、出来すぎた人間じゃなくて」
典子 「お兄ちゃんはそんなんじゃなくって、……うまく答えられ
    ません」
中尾 「典子ちゃんは、お兄さんのどういうところがかっこいいと
    おもったの?」
典子 「お兄ちゃんは特別だったんです」
中尾 「たったひとりの特別?」
典子 「はい」
中尾 「そんな大事な人を、どうして自分の手で死なせるようなこ
    とになったの?」
典子 「殺すつもりはなかったんです」
中尾 「じゃあどうして?」
典子 「本当は、殺すつもりなんてなかった。ずっとこのままいけ
    ると、信じてたんです。私は、お兄ちゃんさえいればよ
    かったのに、お兄ちゃんは、いつも私に「ごめん」と言い
    続けて。先に耐えられなくなったのは、お兄ちゃんの方
    だった。中尾さんは、わかってらっしゃるんでしょう」
中尾 「……ええ」
典子 「お兄ちゃんは、私に殺してくれと言いました。自分はもう
    駄目だ、殺してくれと。私は、そんなことしたくなかった」


《九》過去/現在

      孝明、考え込んでいる。
孝明 「いたのか」
典子 「うん。(座って)どうかしたの」
孝明 「おまえは、このままでいいと思っているのか?」
典子 「何が?」
孝明 「将来のこととか、おまえは考えないか?」
典子 「私は、自分が間違ってるとは思わない。生まれた時から、
    私たちはずっと一緒だった。だから、こうしてるのは、私
    には本当に自然なことなの」
孝明 「ぼくは、おまえのようには思えない」
典子 「どうして」
孝明 「世間がぼくらのことを知ったら、どう言うと思う? もう、
    まともな生活なんて出来ない。お父さんにも、迷惑がかか
    る。やっぱり、これは正しいことじゃないんだよ」
典子 「それだけ?」
孝明 「おまえは、妹なんだ」
典子 「初めから、分かってたことでしょう」
孝明 「もう、やめにしないか」
典子 「そんなこと、出来るわけないわ」
孝明 「ぼくは、家を出る。誰か、友達のところにでも置いてもら
    う。大学を出ても、ここには戻らない。おまえも、好きに
    したらいいよ」
典子 「じゃあ、お兄ちゃんと一緒に行くわ」
孝明 「……」
典子 「嘘よ。お兄ちゃんが今まで言ったことも、全部嘘。お兄
    ちゃんは、ちょっと臆病なのね。どうして、やっていけな
    いなんて嘘言うの?」
孝明 「もう、いやなんだ」
典子 「何をしたって、駄目。離れられないのよ。この世界が滅び
    ても、お兄ちゃんはここに帰ってくるんじゃなかったの?」
      孝明、たまらず典子の首を絞める。
孝明 「その通りだよ。ぼくらのやってることは、際限のないゲー
    ムのようなものだ。これが、永遠に続けられると思うの
    か? どこかで終わりにしなければ、ぼくらはほんとに駄
    目になってしまう。ぼくは、そうなってまで、生きていた
    くはないんだ」
      孝明、唐突に手を放す。
孝明 「ごめん」
      孝明、走り去る。

中尾 「尾崎典子の家庭は、父、兄、本人の三人家族である。仕事
    で多忙な父に代わって、兄の孝明が彼女の面倒をみていた
    という。孝明は、彼女の幼い頃からの恋人だった。初めは
    無邪気だったふたりの関係も、大きくなるにつれて、何か
    別のものに変貌していった。兄は世間の目を気にするよう
    になり、罪の意識から、しばしば妹に暴力をふるった。妹
    が内気で、外に出たがらず、兄に頼りきりだったことも、
    兄の負担を重くしたと考えられる」
      典子、登場。
中尾 「彼女は、兄を殺すことによって、その苦しみをとめてやっ
    たのだ。……私は、彼女の話を聞きながら、震えていまし
    た。人は、本当に愛する者を殺せるんでしょうか。相手が
    いくら頼んだからといって、そんなことが、人には可能な
    のでしょうか。私は、彼女の顔を見ていました。声は淡々
    としていました。ただ、兄について語る時、彼女は悲しみ
    よりもむしろ、怒りを感じているように見えました。

典子 「お兄ちゃんはいつも口実を考えていたんです。自分から始
    めたことなのに、逃げたばかりいて、最後まで事実を向き
    合おうとしなかったんです。お兄ちゃんは私を殺そうとし
    ました。いっそ殺してくれれば良かったのに、それさえ、
    出来ないひとだったんです。
    部屋の中はまっくらでした。だんだん目が慣れてくると、
    兄がベッドに座って、こっちを見ているのが分かりました。
    あの事件以来、兄は私と全く言葉をかわしていませんでし
    た。そばに行っていいかと私はききました。兄の顔はかげ
    になっていて、よく見えませんでした。が、すぐに動いて、
    私のために場所をあけてくれました。いつもと同じシチュ
    エイション、なのに何かが違ってきていました。兄はやや
    うつむいて、自分の思いにふけっているようでした。私は
    ナイフを置きました。兄は私の握りしめたナイフに気がつ
    いたようでしたが、何も言いませんでした。「何か言った
    ら」「言うって何を」兄は聞き返しました。こんな場合で
    も、彼はいつものポーズを、……自分は罪のない被害者だ
    という態度を、とり続けていたんです。私は兄にもたれか
    かりました。不思議に満ち足りた気分でした。私は再びナ
    イフを手に取りました。逆手に握ろうとして、何度も失敗
    しました。本当に、これで人が刺せるんだろうかと思いま
    した。兄が何かを言おうとして、振り向きました。その瞬
    間、私は兄の体に手を回して、ナイフを突き立てていまし
    た。
    遠くから、祭りのお囃子が聞こえてきました。私は窓に駆
    け寄りました。外を歩いている人たちは、みんな浴衣を着
    て、たのしそうでした。話し声が通りすぎ、また別の声が
    通り過ぎていきました。お兄ちゃんと私は、お父さんの帰
    りを待ちました。早くしないと、祭りが終わってしまう。
    そう思いながら、私たちはずっと暗い部屋の中に座ってい
    ました。
    もう、戻れません。ほかの自分があったかもしれないけど、
    私はここに来てしまったんです。これからどうなるかは分
    かりません。ただ、ずっとひとりぼっちというわけじゃな
    いと思います」


《十》現在

片桐 「いいお天気になったね」
中尾 「今年は桜がはやいそうですよ」
片桐 「こんなあったかい日は、昼寝が一番だよね。中尾さんは、
    何書いてるんです?」
中尾 「先日の事件の調書です」
片桐 「ああ」
中尾 「彼女はこれからどうなるんでしょうね」
片桐 「さあ。本人次第じゃないですか」
中尾 「そうですね」
      今井、入ってくる。
今井 「片桐さん、お昼にしません? 今ね、公園の桜がきれいな
    んですよ。お弁当持って、花見にいきませんか」
片桐 「いいですねえ。中尾さんもご一緒に」
中尾 「お言葉に甘えて」
      由美、入ってくる。
由美 「こんにちは。差し入れ持ってきました。おだんごです」
今井 「まあ、おだんご。花見にぴったりだわ」
由美 「え? 花見に行くんですか、これから」
今井 「そうよ。あなたもいらっしゃい」
由美 「わーい、うれしいな」
今井 「早く行かないと、場所がなくなりますよ、ほらほら」
      今井と由美、和気あいあいと出ていく。
片桐 「あのふたりって、仲が良かったんでしたっけ」
中尾 「さあ。いいんじゃないですか、これで。行きましょう」
      ふたり、出ていく。


                        (FIN)


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も、その他いかなる形式における複製においても、削除は禁止しま
す)

この脚本は、日本の著作権法および国際著作権条約によって保護さ
れています。「World's End」は山本奈穂子の著作物であり、その
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人が所属するサークルあるいは劇団内で閲覧するための複製のみ、
次の二点が満たされていることを条件に、認めます。

 一、タイトル(『World's End』 作・山者奈穂子)から最終行
   の英文コピーライト表示までが全て含まれていること。
 二、テキストを一切改変しないこと。

上演を行う際には、事前に必ず作者の許可を得る事が必要です。問
い合わせは、作者の所属する「劇団空中サーカス」へどうぞ。

 「劇団空中サーカス」公式サイト http://www.k-circus.com/

上演許可の申請は、出来るだけ早めに行って下さい。この脚本の使
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期によって変わります。予算の関係で減額してほしい場合は、ご相
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 一、公演初日より三週間以上前に、許可申請がされた場合。
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上演のための改変は、作者が上演許可を出した公演においてのみ、
認めます。ただし、原型をとどめないほどの改変はご遠慮下さい。
どこまで手を加えたら良いのか分からない場合は、作者あるいは劇
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