◆ オリジナル台本 『グリーン・サム』 ◆

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題名 グリーン・サム
作者 山本真紀
キャスト 3人
上演時間 60分
あらすじ 植物には惜しみない愛情を注ぐが、周囲の人々には心を閉ざしがちな少女・佳奈。姉の多恵や、姉妹の隣人の晴美は、そんな彼女を暖かく見守っている。
どことなく外界から遊離した風情がただよう郊外の住宅地。そこに暮らす人々もどこか不思議な雰囲気を持っている。
春から夏へ、夏から秋への季節の移ろいとともに、佳奈の心が癒される過程を描いた作品。

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注意事項



グリーン・サム



○登場人物

    多恵
    加奈
    晴美

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   『グリーン・サム』 作・山本真紀

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《一》流浪の民[晴美]

   庭。
   きちんと手入れされて美しい。
   バラのからんだアーチがある。
   ベンチが置かれ、晴美がそこに座っている。

晴美「私の故郷は田舎です。故郷のことを田舎と呼ぶのは、都会の
 人たちが実はみんな田舎者だからなんですが、私の田舎は本当に
 田舎でした、なにせ信号がないんですからね。町中に、信号が一
 つもないんです。道はあります。道がなければ外に行けないし、
 大体田んぼに行くときに困ります。山あいをくねくねと曲がりく
 ねった道に、走るのは耕運機か、ハイカラな若い衆が操るMR2
 かってとこで。あ、ベンツもあります。リッチな人が多いから、
 お買い物車がマジェスタだったりします。まあ、でも、道と道が
 交差してても、交通量自体たかが知れてますから、交通事故はめ
 ったに起こらないんです。たまに子供が荷車につま先をひかれた
 とか、自転車とばあちゃんが接触したとか、その程度です。そん
 なのどかな町に住み着いて、先祖伝来の土地を細々と耕して暮ら
 していたのが私の母です。夫を戦争で亡くして、以後女の細腕で
 二人の子供を育て上げた女丈夫です。次男坊が私です。私は大学
 を出た時、町役場に勤めるか、学校の先生になるか迷いました。
 田舎では、大学出は本当になれる職業が限られてきます。兄がす
 でに家を継いでいましたから、私は好きなことをしてよかったん
 です。まちに出て就職し、やがて、いい人に巡り合って結婚しま
 した。その四年後、ローンを組んで家を買うことにしました。買
 った土地は、造成されたばかりの新興住宅地でした。切り開かれ
 た斜面にお行儀よく並ぶ建売住宅の一つが我が家となったわけで
 す。家族の夢は○○に行けば買える。田舎の家に比べたら、四分
 の一くらいのおもちゃみたいな家が、三十年ローン。でも、やっ
 と手に入れたマイホームです。私は一生懸命働きました。といっ
 ても、公務員だから、働いた分給料が増えるわけでもないですが、
 マイホームのために、妻や子供のために働きました。さて、買っ
 た当初はバスも来ない不便さだったのですが、一年たち二年たつ
 と、造成が進み、この家のある辺りも一番奥ではなくなってきま
 した。家が建つのってはたで見ていると実に簡単です。ちょちょ
 っと土をならして、コンクリで固めて、そしたらなんたらハウス
 が家の部品を持ってきます。それを大工さんが組み立てて、おし
 まい。初めは腹が立ちましたね。そんなお手軽なうちに住めるも
 のかって。でも仕方ないです。積み木細工のようなこぎれいなう
 ちができると、幸せそうな家族が引っ越してきます。いついの間
 にやら、我が物顔でウンコするゴールデンレトリバーの小屋がで
 き、玄関先に赤い三輪車が置かれて、マイホームの出来上がり。
 家ができるとそこに人々が次々詰め込まれてくるわけです。それ
 が町というものだと最近知りましたね。母の住む田舎は、最近信
 号が一つできて、町の新しい観光名所になったそうです。でも私
 にとっては、このおもちゃ箱みたいな町が故郷です。私の根っこ
 はまだあっちにあるんでしょうか。半分こっちで半分あっちだと、
 根っこが引き裂かれてむざんかも知れません。母も年を取りまし
 た。兄は最近死にました。田舎のあのだだっ広いうちで、母は一
 人きりで住んでいます。いつかは、帰らなければいけないでしょ
 う」


《二》グリーン・サムの憂鬱[加奈]

多恵「もう行く用意できた?」
加奈「まだ」
多恵「その服でいいんじゃない。お化粧はしないんでしょ? 映画
 が終わってから、どこかで食べて帰ろうと思うんだけど、いい?」

   加奈、うなずく。

多恵「早くしないと、映画が始まっちゃう。今日が最後のチャンス
 よ。これを逃すとお互いしばらく忙しいから。さあ早くして」
加奈「やっぱり行かない」
多恵「え?」
加奈「行きたくないの」
多恵「どうして」
加奈「……」
多恵「まあいいけど。あんたにすっぽかされるの、これが最初って
 わけでもないし」
加奈「……」
多恵「本当に行かないの?」
加奈「うん」
多恵「そう。前売、買っちゃったからな」
加奈「私払う」
多恵「いいの。晴美に電話してみる。あの人も男ひでりでどうせ暇
 だしね。誘ったら来ると思う」
加奈「ごめんね」
多恵「うん。じゃ」

   多恵、出て行く。

   加奈、しばらくじっとしている。
   晴美が入ってくる。

晴美「こんにちは」
加奈「こんにちは」
晴美「多恵、いないの?」
加奈「うん。もう行っちゃった。一緒に映画に行くんじゃなかった
 の?」
晴美「え? 知らない」
加奈「電話するって言ってたけど」
晴美「聞いてないよ」
加奈「晴美さんが出かけたあとにかけたのかな」
晴美「そうかも知れない。さっき?」
加奈「うん」
晴美「今頃、一人でさびしく見てるんじゃない?」
加奈「……」
晴美「けんかでもしたの」
加奈「映画行かないって言っちゃったから」
晴美「どんな映画?」
加奈「アクション」
晴美「そうか。好きじゃないよね」
加奈「ていうか、恋愛ものだろうが、SFX超大作だろうが、何だ
 っていいけど、とにかく急にいやになったの」
晴美「そう。多恵、がっかりしてたでしょ」
加奈「……」
晴美「花が増えたね」
加奈「うん。愛情こめて育ててるから」
晴美「わかるな、そんな感じね」
加奈「晴美さんは、何か花を育ててる?」
晴美「今、ベゴニアと、サボテンと、クンシランを置いてるよ。ま
 あまあ順調よ」
加奈「クンシランって、どんな花?」
晴美「ランに似てるけど、ランじゃないの。二月頃、春になるかな
 らないかの時期に、オレンジ色の花が咲くの。葉っぱがこんな形
 で、花がないときも観葉植物としてそれなりに楽しめるっていう」
加奈「それってやっぱりインテリアの一部なの?」
晴美「そう。緑に目覚めてまだ日は浅いんだけど、最近すっかりは
 まっちゃって、園芸雑誌も購読してる」
加奈「そうなの」
晴美「このうちに来てからなの」
加奈「え?」
晴美「正確に言えば、多恵や加奈ちゃんと知り合ってからかな」
加奈「どうして」
晴美「だって、このうちを見てるとうらやましくって」
加奈「へえ」
晴美「アパートに住んでるじゃない。だから、土のある家にあこが
 れるの。田舎育ちだし、植物が身近にある環境が落ち着くのよね」
加奈「ふうん」
晴美「アパートって味気ないよ」
加奈「そう思う。私だったら堪えられない」
晴美「加奈ちゃんは特にそうだろうね。短大に入ってこっちに来て、
 初めて独り暮しをしたの。最初はうれしかった。好き勝手に暮ら
 せるし、近所づきあいのわずらわしさもないし。解放されたよう
 に感じた。でも、何かが足りないの」
加奈「家族がいないから?」
晴美「うーん、それもあるけど」
加奈「心の潤い的なもの?」
晴美「そうね。近いかな。部屋のインテリアに凝るじゃない。カー
 テンの柄にこだわったり、壁に絵を掛けたり、効果的な収納方法
 を考えたりして、『これが私の部屋だ!』と言えるくらい自分の
 匂いのする部屋を作っても、まだ落ち着かないの。居場所がない
 ように感じる」
加奈「どうして」
晴美「分からないけど、アパートって所詮、部屋なのよね。家じゃ
 ないから、『うち』にはならない。ドアを開けて一歩出ると外で
 しょう」
加奈「うん」
晴美「初めてこのうちに来たとき、うらやましかった。理想的よ。
 うるさく言う親もいないし、適度に孤立した生活が送れて、しか
 も土つき」
加奈「土じゃなくって、土地でしょう」
晴美「土ってイメージなの。私も鉢植えを育ててるけど、単なる代
 償物なの。本物の土に植えないと、やっぱりさみしい」
加奈「晴美さんも、花の気持ちが分かるの?」
晴美「分からない」
加奈「さっき、インテリアって言ってた」
晴美「その程度ね。加奈ちゃんみたいに話ができるわけじゃない。
 でも花がいてくれることで、私も癒されている部分があるんじゃ
 ないかなーって。……言ってて恥ずかしくなっちゃった」
加奈「そんなことないよ」
晴美「そう?」
加奈「うん。植物と一緒に生きていない生活って、間違ってると思
 う」
晴美「そんな気もする、確かに」
加奈「最近多恵がアパートに移ろうかって話をするんだけど」
晴美「そうなの?」
加奈「聞いてなかった?」
晴美「初耳。どうして」
加奈「お金がかかるからだって。いくらボロい家でも、2DKに比
 べたら、家賃がかさむから」
晴美「親御さんから送金してもらってまかなってるんでしょ? 問
 題ないじゃない」
加奈「私と住むのがいやなんじゃない」
晴美「まさか」
加奈「だってあの人、晴美さんみたいに土にこだわりを持ってるわ
 けじゃないもの。面倒でしょ、家の手入れも」
晴美「そりゃそうだけど、そう言ってしまうと身も蓋もない」
加奈「私が働いていれば、違うんだけど」
晴美「?」
加奈「私もお金を払ってるんだから、勝手に決めないでよとか」
晴美「加奈ちゃんは……」
加奈「本当なら高校三年生。でも学校行ってないし、働いてないし
 で、立場が弱いなあ」
晴美「バイトしてる?」
加奈「してる。でも月五万くらい」
晴美「上等よ。とにかく、強引な話ね」
加奈「まだ具体的じゃないの」
晴美「そう。でも、多恵、珍しく強気よね。多恵がそう言ったんで
 しょ?」
加奈「うん」
晴美「怒ってやる」
加奈「いいの」
晴美「加奈ちゃんに対して無責任よ」
加奈「そうかな」
晴美「そうよ。多恵は加奈ちゃんの保護者をつとめているんだから、
 それに加奈ちゃんの気持ちに逆らうようなことをする権利はない
 んだから」
加奈「いいの。多恵は好きなようにしていいの。気兼ねなしに。私
 に気を遣って、かえっておかしくなってる。私は多恵の重荷にな
 りたくないの」
晴美「重荷だなんて」
加奈「時々ね。困らせるつもりはないけど、私が人とは違う生活を
 しているから。ここは私の生まれた土地じゃないし、親元を離れ
 て周囲の目を気にせずにすむんじゃないかって思ったけど、多恵
 にとって私はやっぱりいやなしがらみよ」
晴美「姉妹だから、しょうがないじゃない。怒るわよ本当に」
加奈「もう怒ってる。他人事なのに」
晴美「他人事とかそういう問題じゃなくて」
加奈「ごめんね」
晴美「もう」
加奈「これあげる」
晴美「え?」
加奈「晴美さんの部屋に置いてやって」
晴美「もらえないわ」
加奈「どうして」
晴美「加奈ちゃんの友達でしょ。枯らしたら絶交するでしょ」
加奈「枯らさなきゃいい」
晴美「自信ないわ」
加奈「あまり日の光に当てないで、水をたっぷりあげて、丈夫だか
 ら」
晴美「でも」
加奈「たまに様子を見に行っていい?」
晴美「歓迎します」
加奈「ありがとう。じゃあね」

   加奈、去る。

晴美「じゃあねって……帰るか。(鉢植えに向かって)よろしくね」

   晴美、去る。


《三》しがらみって……[多恵]

晴美「あんたがそう気に病むことはないのよ」
多恵「だって、」
晴美「なに?」
多恵「あの子は私の妹なのよ」
晴美「わかってる。だからと言って、あんたが何もかもしょいこむ
 ことはないのよ。外に出たら、気が晴れるかも」
多恵「外で何するって言うの。ちぎり絵のサークルにでも入って、
 おばさんたちとおしゃべりしろって? ぞっとする」
晴美「やってみれば。好きになるかもよ」
多恵「ならない。絶対ならない」
晴美「加奈ちゃんは、友達いるんでしょ?」
多恵「いるみたいね。時々話してるわ」
晴美「どんな子?」
多恵「近所の不動産屋の息子。たまくんて言うんだけど、本当はな
 んていう子だろう」
晴美「連れてきたことはないの?」
多恵「とんでもない。夕方になるとふらっとどこかに行っちゃって、
 明け方まで戻らないのよ。その子と遊んでるんだと思うけど、ど
 こにいるのかまではね」
晴美「結構すすんでるのね、最近の子は」
多恵「そんな意味の友達じゃないと思うわ。でも私、あの子のこと
 よくわからない」
晴美「現実的に考えれば、あの力を使って何か商売でも始められな
 いかと思うんだけど、でも、どんな商売?」
多恵「でしょ」
晴美「虫や植物と話ができるっていってもねえ」
多恵「嘘かもよ」
晴美「え?」
多恵「加奈のつくりごとかも知れない」
晴美「多恵」
多恵「妄想よ」
晴美「実証されてるわ」
多恵「信じない」
晴美「姉のあんたが」
多恵「私には、草や木の声は聞こえないし、虫なんて触りたくもな
 い。鈴虫くらいなら飼ってやってもいいけど」
晴美「あんたは、凡人だから、あの子の世界がわからないのよ」
多恵「前、取材に来たテレビの人もそう言ってた。お姉さんには、
 この人の価値がわかってないんですよって。でも、加奈の価値っ
 て何? あの子、時々やさしいの。黙ってお茶いれてくれたりし
 て。それで充分よ。なんだかんだ言っても、一緒に暮らしていけ
 る。それが一番重要なことよ」
晴美「結局、家族としての価値よね」
多恵「でも最近、あの子しめてやろうかと思わないでもない」
晴美「何で」
多恵「気が付かない? 庭の花が妙に増殖してるの」
晴美「まずい? スペースは充分あるじゃない」
多恵「スペースはあるわよ。そうじゃなくて、この鉢」
晴美「ポトスね」
多恵「名前を聞いてるんじゃないの。先週挿し芽したときには葉っ
 ぱが三枚しかなかったのよ」
晴美「すごい成長ぶりね」
多恵「異常よ」
晴美「どうやって栽培してるかそのテクニックを伝授してほしいく
 らいだわ」
多恵「晴美」
晴美「怒らないでよ。だけど、別に害があるわけじゃないし。あん
 たさっき信じないって言ってなかったっけ」
多恵「信じてないわよ。でもこれは絶対加奈のしわざなの」
晴美「ほかには?」
多恵「雑草が引いても引いても追いつかないくらいはびこってきた」
晴美「雑草にも分け隔てなく愛を注いでいるわけね」
多恵「勝手な真似をして、一体誰がこの庭の世話をしてると思って
 るの?」
晴美「加奈ちゃんでしょ」
多恵「違う、私よ」
晴美「育ててるのは加奈ちゃん」
多恵「私が憎まれ役になって、雑草を引いたり虫を殺したりしてや
 ってんのよ。私がいないとこの庭は堕落するの、ジャングルにな
 ってしまうの」
晴美「加奈ちゃんは何て言ってるの」
多恵「何も。部屋に閉じこもってる」
晴美「大変」
多恵「自殺はしないと思う」
晴美「何てこと言うのよ」
多恵「姉の私が言うんだから大丈夫よ」
晴美「じゃあ何、これはただのきょうだい喧嘩?」
多恵「とも言えるわね」
晴美「加奈ちゃんは庭を使っていやがらせ?」
多恵「いやがらせ以外の何物でもないわ」
晴美「あんたはどう対応しているの」
多恵「どうもしないわ。毎日せっせと草引きして、除草剤まいて、
 もうくたくたよ。仕事も定時に終わって走って帰ってんのよ。留
 守中にどれだけ草が増殖してるかと思うと、恐ろしくて家をあけ
 られない」
晴美「残酷」
多恵「あんたまで、私を非難するの」
晴美「だって、加奈ちゃんの友達よ」
多恵「友達なら、人間様の生活を乱さないようにちゃんと言い聞か
 せるべきよ。植物を道具に使うなんて、卑怯よ」
晴美「加奈ちゃんに感謝したほうがいいわ」
多恵「どうして」
晴美「虫はどう?」
多恵「増えてない」
晴美「そういうこと」
多恵「何だか寒くなっちゃった」
晴美「私も。加奈ちゃん呼んでみよう」
多恵「無駄無駄」
晴美「やってみなきゃわからないでしょ」
多恵「晴美!」

   晴美、家の中へ入っていく。

多恵「気持ち悪いわね。そんなにじっと見ないでよ。あんたたち、
 加奈の手先なんでしょ。私たちが何話してたか、加奈に言いつけ
 るんでしょ。私もむやみに殺生したくないの。好きで草引いてる
 わけじゃないのよ。これ以上私の手を煩わせないで。毎日仕事す
 るだけでもくたくたなのに、家事もしないといけない。それから、
 ご近所づきあい。このクソ忙しいときに、なんで死ぬのよ。近所
 の年寄りは、ウチの会社の決算の時期を狙って死んでるわよ、絶
 対。休みを取るのも上司の顔色を窺わないといけない、しがない
 OLなのよ、私は。休んで人んちの葬式の手伝いに行くほどばか
 らしいことはないわ。死者に敬意を払わないわけじゃないけど、
 ただ何でこの時期に死ななきゃいけないの……って叫びたくなる
 ような、残業してねって言われてる日に限って葬式は来るのよ。
 わざと休むわけじゃないし、私絶対さぼりじゃないです、課長!
  それに大体どうして月に二回もどぶの掃除をしなきゃいけない
 のか知らないけど、そう決まってんだからしょうがないじゃない。
 顔見知りの奥さんもいるし、行かなきゃ文句を言われる。皆勤す
 ればしたで『おたくは独身だから時間があるのね』って、そいつ
 に愛想笑いしてると顔もひきつるわ。ああ、しがらみってこうい
 うものなのね……って、何で二十七才の私が悟らなきゃいけない
 の。独身の貴重な週末をご近所づきあいに捧げてる私の苦労もわ
 かってよ」
晴美「多恵」
多恵「晴美」
晴美「錯乱しないでよ」
多恵「加奈、どうしてる?」
晴美「どうもしてない。『精神的に疲れたから、部屋で瞑想してい
 る』って説明してくれたよ」
多恵「何かあの子を疲れさせるようなことした?」
晴美「さあ。私、そろそろおいとまするわ。加奈ちゃんによろしく」

   晴美、去る。

多恵「私が加奈によろしく言うとでも思ってんの? 私、だんだん
 おばさんになっていくわ」


《三・五》二十年前[多恵]

晴美「教科書持ってきた?」
多恵「持ってきた」
晴美「ノート持ってきた?」
多恵「持ってきた」
晴美「顕微鏡持ってきた?」
多恵「持ってこなかった。顕微鏡なんて使わないから」
晴美「使わないからじゃなくて、持ってないからでしょ」
多恵「顕微鏡なしで観察できる?」
晴美「1.0倍って、スケッチの横に書いておけばいい」
多恵「1.0倍って?」
晴美「肉眼で見たままってこと」
多恵「それじゃ、夏休みの研究としては、いささか格調に欠けるん
 じゃないかと思う」
晴美「正確さに欠けなければいいの。とにかく始めよう」
多恵「始めよう」
晴美「何の研究するの?」
多恵「ちょっと待って。(ポケットから新聞紙を取り出す)まず、
 カッターの刃がいるって書いてある」
晴美「カッター?」
多恵「たまねぎを一センチ四方に切るんだって」
晴美「そんなの私、包丁でだってできるよ」
多恵「私、できない」
晴美「包丁取ってきてよ」

   多恵、包丁とたまねぎとまないたを持ってくる。
   晴美、たまねぎをみじんぎりにする。

多恵「今日の晩ご飯はタイ風カレーなの」
晴美「台風カレー? やみなべみたいな料理?」
多恵「どうして?」
晴美「やみなべって、まっくらやみでしか作れないんだって。ちょ
 っとでも光が差したら味が変になるんだって。だから、台風が来
 た晩に、停電になったときに、まっくらな台所でこっそり作るも
 んなの。冷蔵庫あけても電気がつかないから、適当に手探りで物
 を取って、適当に煮えるぐらいにぶった切って、鍋にほうりこむ
 の。そんで味も適当に手にさわったビンの物をふりかけるの。す
 っごいスリリングよ」
多恵「何が」
晴美「できあがりが」
多恵「私、絶対食べない」
晴美「今日の晩ご飯は台風カレーでしょ。やみカレーでしょ」
多恵「やみじゃないもん。タイの入ったカレーだもん。おめでたい
 ときにしか食べられない、ありがたいカレーなんだよ。晴美ちゃ
 ん、食べに来る?」
晴美「だめ」
多恵「何で?」
晴美「今日ごはん当番」
多恵「大変だね。晴美ちゃんも」
晴美「うちは家族全員、役割分担してるから。子供だからって免除
 してくれないから、いやになる。家では子供の方が忙しいのに」
多恵「お母さん家でひまなの?」
晴美「だって宿題ないし。できた」
多恵「次はいためるのよね」
晴美「にんじんとピーマンが足りない」
多恵「にんじんいや。たまねぎだけにしようよ」
晴美「ピーマンは」
多恵「ない」
晴美「たまねぎだけ?」
多恵「うん。たまねぎ好き」
晴美「私きらい。目が痛くなっちゃった」
多恵「私も切るのはきらい」
晴美「オムライスで、いいのよね」
多恵「うん。でもこのたまねぎ、大きいよ」
晴美「さっき、一センチ四方って言わなかった?」
多恵「言った。でも、一センチ四方じゃ、すでにみじんぎりとは言
 えないと思う」
晴美「何で一センチ四方に切らないといけないの?」
多恵「さあ。忘れちゃった」
晴美「私も忘れちゃった。これやみカレーで使って」
多恵「うん。使うように言う」
晴美「ひま」
多恵「ひま」
晴美「眠い」
多恵「私眠くない」
晴美「私寝るわ。そこで見張っててね」
多恵「何を見張るの?」
晴美「ありが口に入らないように」
多恵「口しめて寝てよ」
晴美「寝たときはしめてるんだけど、寝てる最中はあいちゃうみた
 いだから、しょうがないじゃない。昔テレビで観た映画でさ」
多恵「こわいの?」
晴美「そんなにこわくない」
多恵「うん」
晴美「無人島に、男の人と男の子と女の子が流れ着いたんだけどね」
多恵「うん」
晴美「途中でその男の人死んじゃうのよ」
多恵「何で」
晴美「知らない。『死んじゃったよ』って男の子が謂った時―に、
 耳から真っ赤なクモが出てきて」
多恵「いや」
晴美「だから死んだのよ」
多恵「気をつける。でもクモはさわれないから、クモが耳に入りそ
 うになったら起こしてあげる」
晴美「おやすみ」

   晴美、寝る。
   多恵、きょろきょろしている。

多恵「クモなんていないよね。クモが来たら、あ、そうか、くつで
 パーンてすればいいのか。でも残酷だよなあ。クモだって生きて
 るもんなあ。もし私がクモに生まれ変わったらどうしよう。羽の
 ついた虫っておいしいのかな。クモにはごちそうなのかも知れな
 い。ねえ、どう思う? 寝ちゃったの? 気楽な子ね。ねえ、先
 生がよく言ってるでしょう、虫だって生きてるんだから、虫にも
 やさしくしようねって。もし君が虫の立場だったらどうするかを
 考えてふるまおうって。そんなこと、いちいち考えてるとさ、輪
 廻転生ってものがこわくなってくる。私、死んだらありになるの
 かな? 小さい頃、ありの巣に水を入れてありの大虐殺したこと
 がある。みんなは、もっとすごいことやったって言うけど、みん
 なは何とも思ってないじゃない。私はずっとこわくて、スティー
 ブン・キングの小説に出てくる死体みたいにさ、ありがびっしり
 たかって真っ黒になった死体のそばに立ってる夢を時々見る。そ
 したら、顔も何もなくなってんのに、その死体は私だってなぜか
 気づくの」


《四》ハッピー・バースデイ[多恵]

   多恵が小さな花束を持って現れる。
   庭のベンチに座る。

多恵「馬鹿みたいね。こんな花買ったりして。でも買うとうれしく
 なる。(庭を見回し)買う必要なかったかも。買わなくても憎た
 らしいくらい生い茂ってんだから。植物にはもううんざりのはず
 よ。これは切花、もう命のない花なの。ちょっと気持ち悪いけど、
 植物の生首よ、私の戦利品。私はこの生首に心を慰められるの。
 部屋の花瓶に活けて、ベッドのそばに飾っておくつもり。朝起き
 てすぐ芽に入るようにね。そしたら一日さわやかに過ごせるよう
 な気がするの。二十八才。円熟の年よね。二十七才だと青いんだ
 か一人前だかわからない、二十八はちょうどバランスが取れてて
 いい年よ。いろんな二十八がいると思うけど、私は平均より幼い
 のかそれともいいセンいってるのか……、さあ、どうだろう。家
 の留守電に『ハッピー・バースデイ!』てメッセージが沢山入っ
 ているタイプでもないわね。せぜい親から電報が来てるくらい、
 あとは晴美と加奈を連れて、いいワインを揃えてるレストランに
 行く程度の、地味な誕生日。これ以上の贅沢は……、駄目。思い
 つかない。分相応ってところ。でも、誰も私に花をくれなかった
 っていうのは、ちょっとさみしいかな。同級生はみんな結婚して
 るのよ。十代で結婚して子供を産んで離婚した奴だっている。そ
 こまで劇的な人生を送りたくないけど、あんまり何事もなさ過ぎ
 て、拍子抜けするような二十八年だった。これからも多分そう。
 日常のささやかな出来事に泣いたり笑ったりして、お気に入りの
 テレビドラマを楽しみに、一週間また一週間と過ごすうちに、も
 う次の誕生日が来て、また同じことをぶつぶつ嘆くだろうと思う
 と、いやになる。わがままかもね。生活の心配はとりあえずない
 し、健康で暮らしていけたらそれで幸せって、でも、そこそこ幸
 せでも、爆発的に幸せにはなれないのよね」

   加奈、マグカップを持って現れる。

加奈「欲求不満なんじゃない。恋愛でもしたら」
多恵「びっくりした」

   加奈、座る。

多恵「あんたが言うと、ひらがなでれんあいって聞こえるわね」
加奈「若いからでしょ」
多恵「……」
加奈「続きは?」
多恵「あんたが聞いてると思うと、思う存分しんみりできない」
加奈「そう」

   加奈、マグカップを渡して去る。
   多恵、あっけに取られて見送る。

多恵「いつから聞いてたんだろう? 恋愛ねえ。一時期死ぬほど結
 婚したかった。あれはただ就職活動がいやで、永久就職したかっ
 たのよね。……あまり、経験がない。そういやあの男、今頃何し
 てんだろう。生きてるとは思うけど、今イチだったなー、間が合
 わない男だった。あっちにしてみれば、私の方がズレてる女だっ
 た。遊園地に行ってお互い乗りたい物が全然違う、これが決定的
 だったわ。私は絶叫マシンに乗りたいのに、向こうはボートを漕
 ぎたいって言う。じゃあ両方乗ればいいって、そういう問題でも
 なかった。『別行動とろうよ』って提案して、ジェットコースタ
 ーに並ぼうとしたら、『下で見てるよ』ってそんな、見られてる
 私もうっとうしいのよ。それくらいって言うけど、そうやって二
 人の間が合わないことからくるささやかなずれがどんどん積み重
 なっちゃって、しまいには怖くなっちゃった。こいつと結婚した
 ら、一生楽しめない。そう思ったわ。もう懲りた。大体私は横着
 だから、恋愛なんて面倒くさいことは向いてないの。わかった、
 加奈? だから私は恋愛をしないのよ」
加奈(声だけ)「よーくわかった」


《五》森は生きている[多恵・晴美・加奈]

多恵「もうがまんできない」
晴美「いよいよジャングルね」
多恵「どうしろって言うのよ」
晴美「さあ。どうするの
多恵「今、ここに火炎放射器があったら、全部焼き払ってやるのに」
晴美「ここにはない、と。あきらめて働きましょう」
多恵「庭仕事なんて嫌いなのに。虫はいるし、日に焼けて美貌は台
 無しになるし、いいことなしじゃない」
晴美「ちょっとは黙って働きなさい。ここは誰のうちかな?」
多恵「私と加奈のうち。晴美、手伝ってくれてありがとう」
晴美「わかればいいの。それにしても、暑いわね」
多恵「もうじき夏だからね。私たち、道の辺りから見たらおばさん
 に見える?」
晴美「たぶんね」
多恵「あーあ」
晴美「せっかくの休日に、私、何やってんのかしら。そう言えば、
 男ひでりって何のことかな?」
多恵「さあ」
晴美「とぼけないでよ、加奈ちゃんにそう言ったんでしょ」
多恵「あいつ。口が軽いんだから」
晴美「私が男ひでりだからこそ、いや、世間の男に見る目がないか
 らこそ、あんたこうやって助かってんのよ。そこんとこ、よく理
 解してもらいたいわ」
多恵「感謝してます。ところで晴美、本当にそう思ってるの?」
晴美「何」
多恵「いや、意外だったから。やっぱり男欲しいもんなの?」
晴美「男欲しいって、そんな露骨な表現」
多恵「いや、女も二十八になるとね」
晴美「あんたが二十八なんでしょ、私は二十七よ」
多恵「変わらない」
晴美「いや違う、半年も違う。半年違えば、学年が違ってたってお
 かしくないじゃない。多恵が私の先輩ということもありうるわけ
 よ」
多恵「可能性の問題でしょ。結局違わないからいいじゃない」
晴美「いいって何が」
多恵「結局同級生で、だからこうやって二人並んで仲良く労働して
 るのよ」
晴美「私たち、暑さで頭がぼけてんのよ。だからこんな下らない会
 話するんだわ」
多恵「くらくらする」
晴美「大丈夫?」
多恵「うん。たぶん。加奈、いったい何の恨みがあって……」
晴美「本当に心当たりはない?」
多恵「うん。喧嘩はしょっちゅうするけど、こんな風に暴走するの
 は初めて。精神的に不安定なのは確かだけど、もともと辛抱強い
 子よ。私がどんなわがまま言ってもたいがい聞いてくれたし」
晴美「どんなわがまま?」
多恵「晩ご飯のメニューとか、お風呂の順番とか、いつも私の意見
 を優先してくれる」
晴美「できた妹ね」
多恵「本当。だから、何で怒ってるのかわからないの」
晴美「怒ってるんじゃなくて、落ち込んでるんじゃないかなあ」
多恵「何で? 私、何かした?」
晴美「何かしたんじゃない」
多恵「晴美も怒ってる?」
晴美「別に」
多恵「知ってるのね、ねえ何で」
晴美「自分の胸に手を当ててよく考えてみたら」
多恵「動悸がするわ」
晴美「ふざけてる場合じゃないわよ。この事態をどうするつもり」
多恵「どうするって、必死で対処してるわよ」
晴美「根っこ引いて、枝を払って、やってもやってもきりがないわ
 よ」
多恵「じゃ、どうすればいいのよ」
晴美「加奈ちゃんと話し合うことね」
多恵「話し合ったわよ。でも何も言わないのよ、あの子」
晴美「本当に?」
多恵「本当だってば。何が気に入らないのか知らないけど、この庭
 どうにかしてよねって言ったのよ。そしたら、好きでやってるわ
 けじゃない、て言いやがるのよ。自分の意思では何ともできない、
 ごめんなさい、て口では謝ってるけど、私の目を見ようともしな
 かったわ。あっちがその気ならこっちだってって、私も意地にな
 るわよ」
晴美「あんたねえ」
多恵「何」
晴美「思い違いよ」
多恵「何が」
晴美「加奈ちゃんは、心底すまないと思ってるのよ。落ち込んでて、
 自分の気持ちがコントロールできないのよ、きっと。あんたも姉
 なら、それくらい汲んであげなさいよ」

   加奈、現れる。

加奈「勝手なことばかり言わないで」
多恵「加奈」
加奈「もう私のことはほっといて。そうやって決めつけられるのが
 一番嫌なの、別の人間なんだからわかるわけないじゃない。二人
 とも、自分の世界だけ見てたらいいじゃない。なのに、どうして
 私たちの世界に踏み込もうとするの?」
晴美「加奈ちゃん、そんなつもりで言ったんじゃないの。加奈ちゃ
 んが気にしてるのは、この家を出てアパートに移るって話よ。多
 恵も自分一人で決めないで、加奈ちゃんの気持ちを聞いてあげる
 べきだったと思うの」
多恵「いったい何の話? わけがわからない」
晴美「何でわからないの」
加奈「違う、違う、全然わかってない」
多恵「何がわかってないの。あんたの世界って何、そんなにあんた
 は特別な人なの?」
加奈「特別じゃない。私を特別にしてるのは、姉さんよ。私はここ
 にいて、みんなといて、一緒に生きている。そんなことも感じ取
 れない人たちの方がおかしいのよ。私の言うことがわからないん
 だったら、いっそ何も理解しようとせずに、私たちに干渉しよう
 とせずに、無関心に生きていけばいいじゃないの」
多恵「あんたの言うことはわからない、間違ってるのはあんたよ」
晴美「多恵!」
多恵「何よ、何これ」

   緑がはいあがり、枝を広げ、空を覆おうとしている。
   加奈の姿はない。

晴美「加奈ちゃん、どこにいるの、返事して!」
多恵「無駄よ。自分の殻に閉じこもってしまっているに違いないわ」
晴美「加奈ちゃん!」
多恵「晴美、落ち着いて」
晴美「ここからどうやったら出られるの」
多恵「わからない。空が見えない」
晴美「何がおかしいの」
多恵「ジャックと豆の木みたいだなと思って」
晴美「ふざけないでよ」
多恵「ふざけてないわよ。まじめに考えてる」
晴美「じゃあどうすればいいのよ」
多恵「わからない。ただ、私たちがじたばたしても無駄だと思う」
晴美「もういや」
多恵「ちょっと待って、晴美、離れないでよ!」

   晴美、姿を消してしまう。

多恵「せっかちなんだから、あの人は。しかし、たまげたわ。一体
 どうやったら、こんなことできるの? やっぱり人間じゃないわ
 ね。加奈! あんたは、ただの子供よ。気に入らないことがある
 たびに大騒ぎして、やりたいように振る舞って、それでいいと思
 ってるの?」
加奈「あんたはいつも正論を言う」
多恵「もちろん正論よ」
加奈「私のことなんかわからないくせに。自分の価値観だけでばか
 り話すのはやめてよ」
多恵「じゃあ、どうすればいいの? 誰もがあんたに合わせて、い
 い顔をするわけじゃないのよ」
加奈「そんなことわかってる」
多恵「いつも相手を決めつけてるのはどっち?」
加奈「決めつけてなんかない。話すだけ無駄なのよ」
多恵「何が無駄なの」
加奈「あんたは私と違うから」
多恵「当たり前じゃないの。あんたにも、私のことはわかりっこな
 い、だって、あんたは私と違うから。誰だってそうよ。誰にも、
 相手の本当の心なんてわかるわけがない。愛し合ってる者同士だ
 ってそうよ。みんな、自分にだけしかわからない心を抱えて、た
 とえそうは見えなくても、本当はひとりきり」
加奈「嘘」
多恵「私はそう思ってる。ひとりきりなのは、あんただけじゃない
 のよ、加奈」
加奈「違う」
多恵「違わない。あんたの友達は、あんたの心をわかってくれるの
 ?」
加奈「知らない」
多恵「私も知らない。誰が私の心をわかってくれるのか。ひょっと
 したら誰もいないのかも知れない、そう思うこともある。でも、
 だからと言って、周りの人たちすべてを締め出してしまうと損を
 する、きっと」
加奈「どうすればいいの」
多恵「あんたは知ってるはずよ。人間じゃないものの声が聞こえる
 人だから」
加奈「聞こえないわ。だって、こんなのただ咲いて、ただ生きてる
 だけのものじゃない。ここのすべてが、私にとってはたまらない
 しがらみなの。こうやって、毎日庭の世話に追われていると、自
 分が人間だってことを忘れてしまいそうになる。ものを言う口も、
 植物の気孔から立ち昇る水蒸気みたいに、緑色の言葉を吐き始め
 て、いつの間にか、この庭に根を下ろしたドリアドに変わってし
 まっているような気がする。私、枯れてしまいそうなの。先っぽ
 から腐っていって、ぐずぐずと土の上に溶けていくわ。どうした
 らいいと思う、姉さん? 骨まで溶けてしまったら、もう、立っ
 ていられなくなる。私が立てなくなったら、庭の隅に埋めるの?」
多恵「そんなことしない」
加奈「本当?」
多恵「あんたは、私たちを嫌ってるの?」
加奈「わからない。ただ、庭の片隅で腐っていくってどんな気分な
 んだろうって。時々、本当にそうなったら幸せだなって思う」
多恵「加奈。こっちに来て」
加奈「嫌。行かない」

   加奈、座り込んで動かなくなる。
   と同時に、庭の緑が急速に褪せていく。
   暗転。

   スポットライト。
   晴美、現れる。

晴美「お墓の広告って、結構面白いのね。これなんか、見て。『第
 一期分譲完売記念大感謝セール』だって。『格調高く高雅な雰囲
 気を誇る』『彼岸には最寄りの駅から送迎バスが出ます』『永代
 供養込み三百万円の特価でご奉仕』だって。どう思う? まあ、
 どっちにしてもお墓は必要だし、私たち買わないといけないのよ
 ね。でも、何て言うか、味気なくない? お盆の十三日に、子供
 たちが手桶を持って駆け出していくあとから、大人たちがゆっく
 りと歩いていく姿……墓地には近所の人たちがもう来ていて、挨
 拶を交わしながらひしゃくで水をかけるその仕草……線香の煙が
 辺りに漂い、気の早いつくつくぼうしが鳴き始めている。その声
 ばかりがしんしんと、墓石にしみいって、それがあるべきお墓の
 姿なのよ。これはちょっとね。俗っぽくて嫌なの、わかってるけ
 ど。田舎者だからかな、私、そういった古き良き日本的なものに
 すごく執着してる」
多恵「(声のみ)いいんじゃない、それで」
晴美「そう? 私、まあまあ現代的な女だと思ってるのよ。こんな
 風にニュートラルで気楽な独身貴族の生活に満足しきっている。
 それでもふっと気が付くと、無性に帰りたがっている自分がいる
 の」
多恵「帰るって、どこに?」
晴美「田舎」
多恵「でも、あんたの田舎は……」
晴美「そう、もううちはないの。親は外国に住み着いちゃったし、
 弟は東京で結婚して家庭を持ってるしで、私の帰る場所はどこに
 もないんだけど」
多恵「それでも帰りたい?」
晴美「帰りたい。子供の頃、好きだった場所があるの。犬の散歩コ
 ースでね、田んぼの土手に彼岸花がいっぱい咲くの」

   多恵、姿を現す。

多恵「昔、彼岸花を家に持って入ると、家が火事になるって言われ
 なかった?」
晴美「言われた。よく言うよね、そういうこと。そこをずっと行く
 と、高校の横の細い道に出るの。小さい頃、学生服のかっこいい
 お兄さんたちを生垣の間からこっそり見て、どきどきしたもんよ。
 大きくなって、自分がその高校に通いだすと、特定のある男の子
 を見てどきどきするようになった。青春ね」
多恵「高校生になっても、そこを通って犬の散歩してたの?」
晴美「そう、帰宅部でひまだったの」
多恵「へえ……」
晴美「自転車置き場で友達と喋ってる姿ばっかり見てたな」
多恵「かっこよかった?」
晴美「そりゃもう。今の男よりずっと」
多恵「いたの?」
晴美「もう切れかけ。電話もない」
多恵「自分からかけたら?」
晴美「面倒くさい」
多恵「昔のことは良く見える、て奴ね。確かに思い出は大事だけど、
 でも、思い出にひたっちゃうのは不健康な気がする。私、悪いこ
 と言った?」
晴美「いいの、その通りだから。でも、帰りたいと思ってしまうの」
多恵「ここじゃ駄目?」
晴美「駄目みたい」
多恵「どうして」
晴美「風が違うの」
多恵「風?」
晴美「空気の匂い。私、車の免許持ってんのよね」
多恵「何よ、唐突に」
晴美「学生時代に合宿免許で取ったんだけど、行った所がへんぴな
 温泉町でね。海が近くて、宿の部屋にいても、海鳴りが聞こえて
 くるの。風がびゅんびゅん吹いていて、塩からい風で髪の毛がす
 ぐしょっぱくなっちゃうの。教習所から帰るとすぐに、かばんを
 置いて、浜辺に出て座ってた。夜なんか、風の音と海鳴りが一緒
 になって、座ってる私の体の中に共鳴して響いて怖かった」
多恵「そんな風?」
晴美「うん。私の故郷にはそんな風が吹いていた」
多恵「違うから駄目なの?」
晴美「うん。自分の居場所じゃないと思ってしまう」
多恵「じゃあ、あんたの居場所はどこに作るつもり」
晴美「空気の合う所」
多恵「そこが見つかるまでさすらうの? 仕事も転々として、フー
 テンの寅さんみたいに」
晴美「さすらってもいい。そういうのに憧れる。しがらみも何もな
 い土地で、素直な自分を見てもらえるような気がする」
多恵「誰に? 知らないおじさんなんかに見てもらうの?」
晴美「意地悪ね」
多恵「私がここにいても、駄目?」
晴美「どういうこと?」
多恵「加奈は? あの子、姉の私よりあんたに似てる」
晴美「だから?」
多恵「あんたに必要なのは、一緒に暮らしてくれる人じゃないの」
晴美「加奈ちゃんと一緒に住めってこと?」
多恵「誰だっていいのよ」
晴美「今すぐ結婚しろって?」
多恵「したら」
晴美「よりを戻す気はないわよ」
多恵「相手は男じゃなくってもかまわないってこと」
晴美「一体、何が言いたいの?」
多恵「自分で考えたら」

   多恵、消える。

晴美「帰る所なんてない。『帰る』って言葉自体、『家に』という
 方向性がこめられていて、帰る以上、帰る場所は家でしかありえ
 ないわけで。何で英語では、『帰る』一語が『GO HOME』
 になってしまうの? アメリカ人には、『帰る』っていう概念が
 ないのよ、きっと。わざわざ単語二つくっつけないと表現できな
 いのがその証拠ね。あえて言えば、『RETURN』。でも、戻
 ると言ったって、一体どこに? さがさなきゃ駄目だ。答えを、
 さがさなきゃ駄目だ。ギリギリ考えて、答えを見つける。私はこ
 こにいるけれども、その私が戻るべき場所は、ここじゃない。二
 十七才、南が丘三丁目の築七年のアパートにこぢんまりと住んで
 います。会社で経理をやっていて、最近仕事にも慣れました。ちょ
 こっと自信がついた私は、会社でもニコニコ明るく振る舞えます。
 友達も出来て、充実してます。子供の頃は、チビなのが悔しかっ
 た。負けず嫌いで、そのくせ、弱気だった。いつもひとりで遊ん
 でいたような気がするけど、本当はいっぱい友達がいたはず。あ
 の子たちは、今、誰と遊んでいるんだろう? おばあちゃんがい
 て、縁側でよくうずら豆を干していた。その匂いが好きだった。
 汗ばんで走って帰ってきたときに飲むコップからさがるしずく。
 筆箱に入れてたトンボの消しゴム。午後七時五分にお父さんが外
 して投げたネクタイを拾ってお母さんが文句を言っている。……
 何だ。帰る所なんて、いっぱいあるじゃない。ここに、この中に
 帰ればいいんだ。私はここにいます。何て簡単で、何て素晴らし
 いことなんだろう」

   晴美、振り返る。
   多恵が現れて、加奈の頭に手を置く。

多恵「見渡す限りの野菜畑のどまんなかに、高い高い塔が建ってい
 てね。その中には意地悪なばあさんが住んでいましたとさ。ばあ
 さんは、娘を一人飼ってたけど、この娘は可哀想に、外の世間を
 何も知らずに育ったものだから、いつまでも子供のように純粋無
 垢のままでした」
晴美「それ知ってる。絵本で読んだ」
多恵「意地悪ばあさんって、やっぱり私の役どころ?」
晴美「ほかにいないしねえ」
多恵「主役は加奈か」
晴美「当然よ」
多恵「加奈。あんたはこの話を知ってるのよね。小さい頃自分の本
 当の名前はラプンツェルだって、よく言ってた。でも、あんたは
 とりかえ子じゃない。私の妹で、晴美も知ってるあんた自身なの
 よ」
晴美「髪の毛をひっぱってみたら」
多恵「抜くの?」
晴美「まさか。ひっぱって伸ばすのよ」
多恵「伸ばしてどうするの。私、全然伸びなくて困ってるの。半年
 でやっとベリーが取れてショートよ。いつになったらロングにな
 るの?」
晴美「気が短いからよ。どうして伸びるまで待てないの」
多恵「ずっと同じ髪型してると飽きちゃうの」
晴美「考え事しながら髪をかきむしってひっぱる癖をつければいい」
多恵「心がける」
晴美「よろしい。せーの」

   二人で、加奈の髪の毛をひっぱる。

加奈「……痛い」
晴美「彼女は長い髪を塔の上から垂らして、男を引き寄せたのよね。
 すごいと思わない? ばあさんの目を盗んで、男を髪で釣り上げ
 たのよ」
多恵「やるよね。ゼウスとダナエの間に起こったことがそこで起こ
 ってしまうわけよ。せーの」

   髪をひっぱる。

加奈「痛い」
晴美「加奈ちゃん。あんたも、女なら、それくらいの意地を見せな
 きゃ。いつまでも塔の中に閉じこもって、世間知らずの子供じゃ
 いられないのよ。せーの」

   髪をひっぱる。

加奈「痛い、痛い、痛い。何するの」
晴美「目が覚めた?」
加奈「覚めた」
晴美「さて、どうしよう」
多恵「とりあえず、中でお茶でもしましょう」

   三人、連れ立って家に入る。


《六》いい月だ[晴美]

   加奈が地面に寝転がっているところへ、晴美がやって来る。

晴美「飲もうよ」

   加奈、起き上がる。
   何故かその手に、銘酒小鼓のビンが握られている。

加奈「うおりゃあっ。て、私が突然乱心して、一升瓶で頭かち割っ
 たらどうする?」
晴美「加奈ちゃんはそんなことしません」
加奈「このままいくの?」
晴美「もちろん」

   ぐいぐいいく。

加奈「酒飲んでごまかすのかあ」
晴美「大人って、ずるいんだ、とか」
加奈「あ、言いたかったこと先に言われちゃった」
晴美「こういうときに言いそうなことくらい、わかるよ」
加奈「大人だな」
晴美「まあね」
加奈「酔ってる?」
晴美「まだ。もうちょい」
加奈「どうぞどうぞ」
晴美「はあ」
加奈「どうしたの、ため息ついて」
晴美「よくわからないの」
加奈「その言葉、何か嫌だな」
晴美「どうして?」
加奈「『わかるわかるって簡単に言うけれど、君たちは本当にわか
 ってるのか?』てよく学校の先生が言ったじゃない。シリアスな
 問題話し合ってるときなんかに。じゃあ、わかんないよーって言
 ったら、『甘えるんじゃない、もっと真剣に考えろ!』って。先
 生、一体私にどうしろって言うの」
晴美「謙虚になりなさいっていう教えなのかなあ」
加奈「どういうこと」
晴美「わかるという言葉の意味。真剣に、全身全霊を傾けて、命か
 けてその問題を考えないといけない場合。頭から煙が出そうなく
 らい考えて、それでも答えが出ない場合」
加奈「ある」
晴美「本当に?」
加奈「ううん、ないと思う。一体何にそんなに真剣に立ち向かうわ
 け?」
晴美「人生のあらゆる場面で、そんな時ってめったにないよね。少
 なくとも、私の人生にはなかった」
加奈「わかる。あ、今のは本当にわかったんだからね」
晴美「うん、わかった。今のも、ちゃんと了解したから」
加奈「そんなに真剣にならなくても、わかるよね」
晴美「うん、わかる」
加奈「私、何でこんなにむきになってるんだろう」
晴美「さあ」

   炭鉱節を晴美が唄い出すと、加奈もつられて唄う。
   二人で唄い、踊る。
   多恵がやって来る。

多恵「何やってんの、あんたたち」
加奈「あーあ、終わっちゃった。じゃあね、晴美さん」
晴美「じゃあね、おやすみ」

   加奈、去る。

多恵「最近、あの子別の意味で変だわ……」
晴美「いいんじゃない」
多恵「あんたはあんたで妙だし」
晴美「もとからよ」
多恵「そう?」
晴美「そうよ」
多恵「ふうん」
晴美「いい月ね」
多恵「もちろん。ねえ」
晴美「なあに」
多恵「私、本当は植物って嫌いじゃないのよ」
晴美「そう」
多恵「うん。見てると落ち着くの」

   二人、黙って庭を眺めている。


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(以降の文章は著作権表示なので、印刷する場合もコピーする場合
も、その他いかなる形式における複製においても、削除は禁止しま
す)

この脚本は、日本の著作権法および国際著作権条約によって保護さ
れています。「グリーン・サム」は山本真紀の著作物であり、その
著作権は作者である山本真紀に帰属するものです。

この脚本を全部あるいは一部を無断で複製したり、無断で複製物を
配布することは、固く禁じます。例外として、ダウンロードした本
人が所属するサークルあるいは劇団内で閲覧するための複製のみ、
次の二点が満たされていることを条件に、認めます。

 一、タイトル(『グリーン・サム』 作・山本真紀)から最終行
   の英文コピーライト表示までが全て含まれていること。
 二、テキストを一切改変しないこと。

上演を行う際には、事前に必ず作者の許可を得る事が必要です。問
い合わせは、作者の主宰する「劇団空中サーカス」へどうぞ。

 「劇団空中サーカス」公式サイト http://www.k-circus.com/

上演許可の申請は、出来るだけ早めに行って下さい。この脚本の使
用料は、無料公演・有料公演といった公演形態に関係なく、申請時
期によって変わります。予算の関係で減額してほしい場合は、ご相
談下さい。

 一、公演初日より三週間以上前に、許可申請がされた場合。
   ・・・五千円。

 二、それ以降(事後承諾含む)の場合。
   ・・・一万円。

上演のための改変は、作者が上演許可を出した公演においてのみ、
認めます。ただし、原型をとどめないほどの改変はご遠慮下さい。
どこまで手を加えたら良いのか分からない場合は、作者あるいは劇
団までお問い合わせ下さい。
なお、改変された脚本の著作権も作者のものとし、改変者には何ら
権利が与えられないものとします。


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