◆ オリジナル台本 『シラノ・ド・ベルジュラック』 ◆

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題名 シラノ・ド・ベルジュラック
作者 脚本:山本真紀 原案:Edmond Rostand [1868-1918]
キャスト 4人
上演時間 90分
あらすじ エドモン・ロスタンの手による戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』の翻案。原作のまま上演すると膨大な登場人物と上演時間になるところを、ロクサーヌの回想と劇中劇という形をとってアレンジし、4人のキャストで上演できるようにしたもの。
年老いて修道院で暮らすロクサーヌのもとへ、一人の人形使いが訪ねてくる。彼は人形を自在に操って、ロクサーヌの遠い日々をよみがえらせるのだった──
詩人にして無双の剣士であるシラノは、どうしようもなくロクサーヌを愛していた。しかし、彼女が愛しているのは美男子のクリスチャンであることを打ち明けられ、二人の仲を取り持つ約束までしてしまう……

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注意事項



シラノ・ド・ベルジュラック

○登場人物

  1 ロクサーヌ

  2 男/シラノ・ド・ベルジュラック

  3 人形/クリスチャン/ル・ブレ

  4 乳母

 ※この脚本は4人のキャストで上演するようになっています。


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   『シラノ・ド・ベルジュラック』 脚本・山本真紀
          原作・Edmond Rostand [1868-1918]

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《1》現在

  ロクサーヌが手紙を読んでいる。

ロクサーヌ「『さようなら、ロクサーヌ。僕はもうじき死ぬでしょ
 う。なぜか、今夜はあなたのことが思われてなりません。まだ、
 あなたに想いをを十分に伝えきれていないのではないか。そうし
 てこのまま死んでゆくのか──そう思うと、悔しくてしょうがな
 いのです。』」

  男が現れる。

男「『二度とあなたにお目にかかることはないでしょう。そうは言
 ってもロクサーヌ、あなたの笑顔ややさしい身のこなし、うつむ
 いて手を軽く額にあててきまじめに考え込んでいる様子などが、
 突然僕の目に浮かんできて、そんな時、僕は声を限りに叫びたく
 なるのです。』……あなたはそうやって、失った恋人の面影を胸
 に抱き続けて、一生暮らすつもりなのですか?」
ロクサーヌ「ええ」
男「何年も前に死んでしまった薄情な男を!」
ロクサーヌ「そう」
男「くだらない」
ロクサーヌ「皆そう言うわ」
男「あの男はいったい、どういう人間だったんでしょうね」
ロクサーヌ「今は私にも分かるような気がするの」
男「え?」
ロクサーヌ「あの人のこと」
男「本当に? 死んでしまった男の心が分かると言うんですか?」
ロクサーヌ「どうしてそんなこと言えるの? あなたには関係のな
 いことでしょう」
男「旅芸人の性でしょう。つい、いらぬ好奇心を燃やしてしまう…
 …失礼しました」
ロクサーヌ「いいのよ。私もくたびれて、つい疑ってしまう時があ
 るの。でもね、こうやって手紙を読み返しているとね、今になっ
 てわかってきたような気がするの」
男「その手紙は、いつもあなたの胸に……?」
ロクサーヌ「有り難いお守りのようにね。人は、誰でも傷を持って
 いるものでしょう。私は私の傷を……この昔の傷は、今でもここ
 に生きている(胸を押さえる)」
男「死んでしまってもなお、愛していらっしゃる」
ロクサーヌ「あの人のやさしい心が、今も私の周りに生きて漂って
 いるように思えるのよ」
男「彼を許してやったんでしょう?」
ロクサーヌ「そんなこと……。私がこうやって、あの人を思いなが
 ら生きていけるのは、彼のおかげだから、感謝しています」
男「時々、うらやましくなります」
ロクサーヌ「どうして」
男「そこまであなたに想われるなんて」
ロクサーヌ「さあ、あの人にとってはもうどうでもいいことなのよ。
 見て。ここに、あの人の血の跡がついている。これはもう何年も
 前のものなのよ」

  溶暗。


《2》過去

  ロクサーヌの娘時代。

ロクサーヌ「クリスチャン! いるんでしょう? ──まだ来てい
 ないのかしら? 約束の時間まであと少し……、まだみたい。で
 も、早目に来てくれたっていいんじゃないの?」

  乳母が入ってくる。

乳母「外に誰かいますよ」
ロクサーヌ「急に声をかけないでよ、びっくりした。誰もいないよ
 うだけど」
乳母「いいえ。さっきから表に誰かうろついているような気配がし
 ます」
ロクサーヌ「猫みたいね」
乳母「猫なんかじゃありませんよ、人間ですよ。こそこそ中をうか
 がって、そう、泥棒じゃないかしら。だいたい、この辺は夜は人
 通りが少なくて不用心なんです。だから言いましたのに、こんな
 へんぴな所はロクサーヌ様にはふさわしくないって」
ロクサーヌ「猫みたいなのは、おまえよ。しょっちゅう聞き耳を立
 てているでしょう?」
乳母「人聞きが悪い。私はそんなスパイみたいな真似してません。
 田舎のお父様も、せっかく都に出すのだから、精一杯華やかな暮
 らしをしてほしいって、そうおっしゃってましたのに。どうして
 こんな引っ込んだ場所に暮らしたがるんです?」
ロクサーヌ「落ち着いた場所が好きなの」
乳母「物好きですよ」
ロクサーヌ「この屋敷は広さが手頃だったし」
乳母「狭くって、お客様もろくに呼べやしませんよ」
ロクサーヌ「維持費がかからないから親孝行だっておまえも言って
 たじゃないの!」
乳母「その分、衣装に全部つぎ込んでしまうんじゃありませんか」
ロクサーヌ「何だっておまえとこんな所帯じみた話をしなくちゃい
 けないの? うるさいからあっちに行ってなさい」
乳母「いいえ、行きません。今夜は何か胸騒ぎがするんです。ロク
 サーヌ様がまた何かとんでもないことをするんじゃないかって」
ロクサーヌ「また?」
乳母「思い出しますよ。そう、お母様がご存命だった頃でした。お
 屋敷にお客様がたくさん見えていた時、おとなしく部屋で寝てい
 たはずが、いつの間にか抜け出して、台所でこっそりワインをが
 ぶ飲みして、へべれけになっていましたっけね? あの時、お母
 様がどんなにお怒りになったことか! お客様の前でお尻を叩か
 れて泣きわめいたことを覚えてらっしゃるでしょう?」
ロクサーヌ「まだ五歳かそこらの時でしょう!」
乳母「誰か、笑いませんでした?」
ロクサーヌ「聞こえなかったわ。さあ、もうあっちへ行って!」
乳母「行きますよ」

  乳母、去る。

ロクサーヌ「クリスチャン!」
クリス「ロクサーヌ?」

  ロクサーヌ、クリスチャンの所へ駆けていく」

ロクサーヌ「クリスチャン! うるさい人は行ってしまいました。
 やっとお話しできるわ」
クリス「何を話せばいいんでしょう?」
ロクサーヌ「何でも」
クリス「私はあなたを想っています」
ロクサーヌ「そう、じゃあ恋の話をしてね」
クリス「あなたを恋しているんです」
ロクサーヌ「それはテーマ、主題でしょう? それを美しく飾って
 表現してくださらないの?」
クリス「私はあなたを……」
ロクサーヌ「飾ってくださいと申し上げました」
クリス「あなたを恋しているんです、非常に」
ロクサーヌ「それはわかっています、それで?」
クリス「それで……もしあなたが愛してくださるなら、ありがたい
 んですが──ロクサーヌ、愛していると言ってください!」
ロクサーヌ「私がクリーム入りのふんわりしたお菓子をいただこう
 と思っているのに、駄菓子を投げ与えるような真似をなさるんで
 すね。ねえ、どういう風に愛してくださるの?」
クリス「非常に……全く」
ロクサーヌ「じゃあ、その想いを華やかに述べてくださらないと!」
クリス「(ロクサーヌに見とれて)かわいいなあ!」
ロクサーヌ「何ですって?」
クリス「キスしてもいい?」
ロクサーヌ「いやっ!(立ち上がりかけて)」
クリス「いいえ! 愛してはいません!」
ロクサーヌ「そう、それなら結構。(腰を下ろすが疑い深げな目)」
クリス「実は崇拝していると言ってもいい」
ロクサーヌ「私のこと、からかってる?」
クリス「僕は馬鹿だ!」
ロクサーヌ「それがいやなの。あなたが年をとって、脂ぎった顔を
 したおじさんになったかと思うくらい、いやだわ」
クリス「待ってください!」
ロクサーヌ「いつもの弁舌はどこに行ってしまったの?」
クリス「僕は……」
ロクサーヌ「愛してくださるんでしょう、よくわかっています、さ
 ようなら!」
クリス「何もそんなに急がなくても! ちょっとくらい言わせてほ
 しい」
ロクサーヌ「崇拝してくださるの? わかっています、もういや!
  帰って!」
クリス「ロクサーヌ!」

  ロクサーヌ、去る。
  シラノ(男)、現れる。

シラノ「大成功だな」
クリス「シラノ、助けてくれ!」
シラノ「いやだね」
クリス「今、この場で仲直りができないとしたら、死んでしまう」
シラノ「そう急にくどき文句が教えられるか。あほらしい」
クリス「シラノ! あれは、あの人の窓だ」
シラノ「そうだな」
クリス「灯りがついた」
シラノ「見りゃわかる」
クリス「僕は死んでしまいたい!」
シラノ「静かにしろ!」
クリス「(小さい声で)死んでしまいたい」
シラノ「今夜は暗いから……」
クリス「だから?」
シラノ「何とかやりくりできるかな。あそこに立てよ。違う、バル
 コニーの下だよ。俺が後ろについて台詞を教えてやるよ」
クリス「それもいいけど……」
シラノ「不満なのか?」
クリス「いいえ、やります。やるよ。(窓に向かって石を投げ付け
 る)」
ロクサーヌ「誰?」
クリス「僕です」
ロクサーヌ「僕って、だれ?」
クリス「クリスチャン」
ロクサーヌ「あなた?」
クリス「お話があるんです」
ロクサーヌ「もう聞きません」
クリス「お願いです」
ロクサーヌ「いや。あなたはもう私のこと好きじゃないんでしょう
 ?」
クリス「(シラノに教わりながら)よくおっしゃいますね。僕の想
 いは募るばかりなのに、……想ってはいないなどと」
ロクサーヌ「あら、お上手ね」
クリス「僕は愛することをためらっていた。ところが、ためらう心
 の底で……想いは育って、……気が付くともう……どうしようも
 ないくらい、君に恋していた」
ロクサーヌ「どうしてその想いを殺そうとなさらなかったの?」
クリス「もちろんです。僕もそうしようとした。でも、無駄でした。
 例うれば恋という、この残酷な子供は……僕の傲慢さ、無用なプ
 ライドを打ち砕いて……僕の心をすっかりとりこにしてしまった
 のです! おい、難し過ぎて何言ってるのかわかんないよ!」
ロクサーヌ「とてもお上手だけど、でもどうしてそんな風にとぎれ
 とぎれにおっしゃるの?」
シラノ「しょうがないだろ!」
ロクサーヌ「今夜は声がためらいがちに聞こえるのはどうして?」
シラノ「夜の暗さのせいでしょう! あなたの耳を求めて、私の言
 葉は手探りでためらいがちに夜の闇の中を進んでいくのですから
 !」
ロクサーヌ「でも私の言葉はそんな苦労をしていないみたい」
シラノ「あなたの言葉を受け入れるのは私の心だからです。その上
 あなたの言葉とは逆に、私の言葉はのぼって行かなくてはなりま
 せん、時間がかかるのも道理でしょう!」
ロクサーヌ「でも今はもう、早くのぼって来るようになった」
シラノ「慣れたんでしょう!」
ロクサーヌ「私、そちらに降ります」
シラノ「いけません!」
ロクサーヌ「どうして?」
シラノ「しばらく許してください。こうして、顔を合わさずに話し
 たい」
ロクサーヌ「お互いに目をみつめることもできないのに?」
シラノ「この瞬間が私にとってどんなにかけがえのないものか、あ
 なたは知らないから……今までの言葉は、決して私自身が語った
 ものではない!」
ロクサーヌ「何ですって?」
シラノ「──ような気がするほどにのぼせて、あなたの視線の前に
 おじけづいて何も言えなくなってしまう自分が情けない。けど、
 今夜という今夜は、初めて、あなたに心から語ることができたよ
 うに思う!」
ロクサーヌ「声がいつもと違って聞こえる」
シラノ「そう、声も別です。それも夜の暗さに守られてこそ。許し
 てください、何だか混乱してしまって──、あなたにはわからな
 いでしょう、真実のみ語ることがこんなに新しいとは、知らなか
 った!」
ロクサーヌ「今までどうしてそうしなかったの?」
シラノ「人に笑われるのがこわかった」
ロクサーヌ「いいえ、笑いません」
シラノ「真実を語るのがこわくて、つい、機知に富んだ粋な言葉遊
 びに逃げ込んでしまう」
ロクサーヌ「言葉遊びも恋の楽しみでしょう?」
シラノ「あなたは恋の駆け引きを楽しむ人だ」
ロクサーヌ「女はたいていそうでしょう」
シラノ「男だってそうです。でも、そんな体裁や見栄をさっぱり投
 げ出してしまえたら、どんなにいいか!」
ロクサーヌ「でも、甘く美しい言葉も恋には必要だと思いません?」
シラノ「初めは私も、粋でみやびな言葉を投げかけて、ありがちな
 恋の手練手管を使った。しかし、今となっては、そんなつくりご
 とであなたに対するのは失礼なように思う」
ロクサーヌ「どうして?」
シラノ「言葉遊びに振り回されて、かえって恋の真実を語る言葉を
 失ってしまいそうだ」
ロクサーヌ「言葉を操るエスプリも、捨ててしまえとおっしゃって
 るの?」
シラノ「まことの恋にめぐりあえたなら、そんなもの、いらないの
 です」
ロクサーヌ「もし、まことの恋に巡り会えたなら、あなたはどんな
 言葉を語るの?」
シラノ「どんな、どんな言葉でも胸に浮かびしだい、そのままあな
 たにたたきつけます。私はあなたを恋している、恋している、じ
 っとしていられない、あたまが壊れそうなほど想っている。もう
 どうしようもなくて、私の心はずっと休む暇もなくあなたの名前
 でときめいて、ロクサーヌ、ロクサーヌと叫び続けている。私は
 あなたの全てを愛してきた。忘れもしない去年の夏、そう、あれ
 は五月二十八日のことでした。もうあなたへの想いを断ち切ろう
 と決心して家を出た朝、道の途中であなたが散歩しているのに出
 会いました。あなたは白い服を着て、新しい髪型も本当に似合っ
 ていて可愛らしかった。私が帽子に手をやって挨拶すると、あな
 たはちょっと赤くなってお辞儀した。その時の笑顔が私の決心を
 あっという間に溶かしてしまったのです。まるで、トリスタンと
 イズーの墓の上に芽吹いて、切っても切っても互いに向かって伸
 びて行こうとしたあの薔薇の蔓のように、たった今、あれほどき
 びしく押し殺したはずの想いがいきいきとよみがえって私をとら
 えてしまった!」

  クリスチャン、ロクサーヌのもとへ行き、その手を取る。

ロクサーヌ「……」
シラノ「わかりますか? 私は全てをあなたに打ち明けた、そうし
 てあなたは聞いてくださる、私の物語を! これほどの望みが果
 たされるとは、想いもしなかった!」
シラノとクリス「泣いていらっしゃるのですか?」
ロクサーヌ「ええ」

  ロクサーヌ、シラノに背を向ける。が、

ロクサーヌ「(クリスチャンに向かって)あなたは誰?」
男(シラノ)「人形です」


《3》現在

ロクサーヌ「人形?」
男「こっちにおいで」

  クリスチャン(=人形)、男の所へ。

男「覚えたか?」
人形「あんなに長い台詞、覚えられない」
男「あれを覚えてもらわないと、芝居が成り立たないんだよ。今度
 の出し物は『シラノ・ド・ベルジュラック』だ。おまえには、バ
 ルコニーのシーンで、あの色男を演じてもらう」
人形「だって、難しいんだもん。私、ロクサーヌの役がいい」
ロクサーヌ「人形なの?」
男「女の人形ですよ」
ロクサーヌ「女だったなんて」
男「だから、人形ですよ」

  ロクサーヌ、走り去る。

男「おかしいな、喜んでもらえると思ったのに」
人形「喜ぶわけないでしょ。思い出を突きつけられて、昔の馬鹿な
 自分を見てしまったんだから」
男「今日はえらくかしこいな」
人形「人形だと思って、甘く見ているでしょう」
男「そうだよ、おまえはただの人形だ」
人形「私、あんたが言うようには動けない」
男「何度もその所作を繰り返しているうちに、形も心もついてくる」
人形「ついてこないうちは、ただの猿真似。猿の芸」
男「そのとおり」
人形「あんたに猿なんて言われると、私もう死にたくなる」
男「死ねるのか」
人形「分からない」
男「切ると、おがくずが出るぞ。痛いぞ」
人形「分かってる」

  人形、手頚に剃刀をあてるが切ることができない。

人形「半端な芸のために死のうとしても、死ぬ勇気がない半端な私」
男「古臭い言い方をするなよ」
人形「ごめんなさい」
男「分かればいい」
人形「ついていくわ、どこまでも」
男「一緒に都へ行こう」
人形「連れていってくれるの」
男「旗揚げだ」
人形「えっ」
男「ふたりの夢だっただろう」
人形「そんな急に」
男「何を気後れしてるんだ」
人形「だって、」
男「ええ?」
人形「都には、奥さんがいるじゃないの」
男「奥さん? ああ、あれか。奥さん。うん、奥さん」
人形「奥さんとあんたの姿を見るのがつらいの」
男「気にするな。おまえとの関係に、あれがはいりこむ余地はない
 んだ」
人形「ほんとにいいの」
男「うん」
人形「こんな未熟な私を」
男「都で芸をみがいて、一流になるんだ」
人形「あっ」
男「どうした」
人形「一流という言葉の響きに、気後れしたの」
男「気後れなんか、たたんで捨ててしまえ」
人形「はい」
男「行くぞ」
人形「つまんないの」
男「え?」
人形「せっかく二人きりだと思ったのに、あんな女連れていくんじ
 ゃ、足手まといだわ」
男「なんだおまえ、芸風が変わったな」
人形「師匠と二人きりじゃなきゃいや」
男「わがままいうなよ。おまえを動かすんだって、もう一人手があ
 れば、ずいぶん助かるんだぞ」
人形「私、そんなに重い」
男「そうじゃない。あの女だって仕込めば立派な人形遣いになるか
 もしれない」
人形「いいわけばっかり」
男「行くぞ」
人形「はい」

  溶暗。


《4》過去

  ロクサーヌとクリスチャンの結婚式当日。

乳母「お顔が青く見えますよ」
ロクサーヌ「そう? 花嫁はたいていそんなものじゃない? 私、
 何だか落ち着かないの。早く式を済ませてしまいたい」
乳母「おめでたい日なんですから、もっとにこやかになさってくだ
 さいよ」
ロクサーヌ「だめよ。私、せっかちなの。今みたいな時が一番耐え
 られない。花嫁になるのが決まってるのに、その時が来るまでは、
 じっと座って待たないといけないなんて」
乳母「そんなにいらいらなさるくらいなら、あちらに行って、花婿
 にご挨拶なさったら」
ロクサーヌ「そんなこと! 人に笑われるでしょう?」
乳母「当たり前です」
ロクサーヌ「何だ、許してくれるかと思ったのに」
乳母「もうしばらくだから、おとなしくしてください。本当に、ロ
 クサーヌ様は何をなさるかわからないから。都にいる間によい縁
 談があればと思っていましたけど、まさか、自分で夫を見つけて
 くるとは。いいおうちのお嬢様は、そんなことしないものです」
ロクサーヌ「わかってる。でもいい男でしょ?」
乳母「まっ」
ロクサーヌ「おまえだって気にいってたくせに」
乳母「見た目がいいことにこしたことはありませんからね」
ロクサーヌ「クリスチャンは私につりあってる?」
乳母「身分とルックスはつりあってます」
ロクサーヌ「違う、私の言いたいのは中身ってこと」
乳母「さあ……、それは本人にしかわからないんじゃありませんか
 ? そんなこともわからずに結婚するんですか?」
ロクサーヌ「わかってる、ちょっと聞いてみただけ」

  クリスチャンが入ってくる。

クリス「ロクサーヌ?」
ロクサーヌ「もう時間なの?」
乳母「あら、さっきは待ち遠しいようなこと言ってたくせに」
ロクサーヌ「おまえは黙ってなさい」
クリス「こんな慌しい結婚式で、後悔してない?」
ロクサーヌ「どうして? 早いほうがいいわ」
クリス「本当に?」
ロクサーヌ「申し訳ないのは私のほう。父は出席できないのを気に
 してたけど」
クリス「またご挨拶に伺うよ」
ロクサーヌ「ありがとう」
クリス「今日はすごくきれいだよ」
ロクサーヌ「ありがとう」
乳母「私、おじゃまですかね」
ロクサーヌ「あ、ごめんなさい」
クリス「いいんだよ」
乳母「いいえ、見てるほうが恥ずかしいんで退散させていただきま
 す」

  乳母、去る。

クリス「いい人だね」
ロクサーヌ「ええ。本当にうれしい」
クリス「僕も」
ロクサーヌ「やっぱり、あまりお話しなさらないのね」
クリス「え?」
ロクサーヌ「これが、まことの恋だから?」
クリス「ああ、うん。あの夜のこと?」
ロクサーヌ「そう」
クリス「僕は、自分の気持ちをうまく伝えられているか自信がない
 んだ」
ロクサーヌ「もう十分に伺いました」
クリス「でも、あなたは知らない……」
ロクサーヌ「何を?」
クリス「話さなければいけない、結婚する前に」
ロクサーヌ「あの時、『全てを語った』とおっしゃったじゃない」
クリス「いいや、全てではない!」
ロクサーヌ「どういうこと?」

  乳母の大声が聞こえて、会話は中断される。

乳母「だめです! 今からお二人は結婚式なんですから!」
シラノ「仕方ないんだ、とにかくクリスチャンに会わせてくれ」
乳母「だめと言ったらだめです!」
クリス「何事だ?」

  シラノが入ってくる。後に続いて、乳母も。

クリス「シラノ、どうした? 式は一時間後だ」
シラノ「わかってる。こんな時にお邪魔して申し訳ない」
ロクサーヌ「お祝いに来てくださったの?」
シラノ「ああ! 本当に美しい。俺の自慢の従妹だ」
ロクサーヌ「もうじきクリスチャンの妻になります」
シラノ「嬉しいでしょう」
ロクサーヌ「ええ。これからも、私たちのためにお力添えください
 ね」
シラノ「そのつもりです。しかし、あなたがこの男の妻となる前に、
 言わなければならないことがある」
クリス「まさか、シラノ!」
乳母「やめてください。いいじゃありませんか。人の幸せをぶちこ
 わすような真似をどうしてするんです? 今日は、ロクサーヌ様
 のめでたい結婚式だと言うのに!」
シラノ「仕方ないだろう、緊急の任務なんだ」
乳母「あなたは、クリスチャン様をねたんでいるんでしょう!」
ロクサーヌ「やめて、ふたりとも。いったい何があったの?」
シラノ「私たちの所属する近衛隊に、出撃命令がくだりました。敵
 はアラスを包囲しています。私たちは、フランス国王の名誉をか
 けて戦わねばなりません」
クリス「何だ、そんなことか!」
ロクサーヌ「そんなことかって……クリスチャン、行ってしまうの
 ね」
クリス「もっと悪いことを想像していた」
シラノ「見くびってもらっちゃ困る。俺が今まで約束を破ったこと
 があったか?」
クリス「悪かった」
シラノ「今すぐ行けるか?」
クリス「ああ。たぶん」
ロクサーヌ「今すぐ?」
シラノ「そうです。今夜七時に、出発します」
ロクサーヌ「そんなに早く!」
シラノ「わかっています、あなたの気持ちは」
クリス「ロクサーヌ、仕方ない。結婚式は延期しよう。戦争から帰
 ってきたら、ゆっくり話すこともできるよ」
ロクサーヌ「話なんか!」
シラノ「ロクサーヌ」
ロクサーヌ「ごめんなさい。引き留めたりしません」
シラノ「お別れの挨拶を」
クリス「ロクサーヌ、僕はきっと帰ってきます。心配しないで」
ロクサーヌ「ひどい! シラノ、お願い。この人が絶対にあぶない
 ことのないように、約束してください」
シラノ「注意はします、でも約束はできない」
ロクサーヌ「むやみに危険な所に行かせないように、約束して!」
シラノ「やってみます、しかし……」
ロクサーヌ「風邪などひかないように、」
シラノ「やってみます」
ロクサーヌ「浮気などしないように、約束して!」
シラノ「もちろんです、しかし……」
ロクサーヌ「お手紙時々くださるように、約束して!」
シラノ「そのことなら、……誓って大丈夫です! さあ、行こう」

  シラノとクリスチャン、去る。

ロクサーヌ「本当に行ってしまうなんて!」
乳母「男なんて、薄情なものですよ。こっちの気持ちなんて、これ
 っぽっちもわかっちゃいない」
ロクサーヌ「男だから、仕方ないの?」
乳母「そう、いつも申し上げていたでしょう。男は所詮、男。私た
 ちとは違う生き物なんです」
ロクサーヌ「それでも、愛があればわかりあえると思ったのに」
乳母「愛があればこそ、違いがわかりすぎて辛いもの」
ロクサーヌ「今日は慰めてくれないの?」
乳母「男女の問題は、当事者で解決すべきです。ロクサーヌ様、お
 となになったんですから」

  乳母、去る。

ロクサーヌ「おとななんかじゃない。恋をしてから自分が馬鹿みた
 いに思えてくる。今すぐ逢いたい、……今何してるの……何考え
 てるの……ほかの女の話をしないで、二人の将来の話以外は聞き
 たくない……『逢いに来る?』じゃなくて『逢いに来い!』と言
 って……どうしてこっちを見ないの……どうして、どうしてって、
 そんなことばっかり考えてる。もっと、私は違ったはずよ」


《5》現在

  物思いにふけるロクサーヌ。

ロクサーヌ「最近、昔のことばかり思い出すわ」

  人形がやってくる。

人形「じゃあ、話して」
ロクサーヌ「もう十分よ」
人形「師匠が、まだ足りないって。もっとしゃべらせろって」
ロクサーヌ「師匠の言うことは何でも聞くのね」
人形「師匠は私の男だから、私の男の言うことは、何でも聞かなく
 ちゃいけないの」
ロクサーヌ「そうなの?」
人形「強引よね」
ロクサーヌ「けんかしない?」
人形「そりゃもう、しょっちゅう。でも、けんかするほど仲がいい
 って本当ね。けんかした後はもっと仲良くなれるの、だから私た
 ちがけんかしてても、ほっといてね」
ロクサーヌ「犬も食わないと言うしね」
人形「でもね、聞いて。前に、まんなかに広場のある大きな町に行
 ったの。そこで営業許可をもらって、宿を捜してたら、その筋の
 女に声をかけられたわけよ。その女、私がいるってのにまるで無
 視しちゃってさ、『私んちに泊まらない』って言うのよ、信じら
 れる?」
ロクサーヌ「ひどい話ね。で、泊まったの?」
人形「泊まったわよ! 師匠ったら鼻の下長く伸ばしちゃって、柄
 にもなくニヒルな感じでさ、『ほかの野郎と鉢合わせするのはい
 やだぜ』って」
ロクサーヌ「それで?」
人形「プロの娼婦じゃあないみたいだったけど、時々旦那の目を盗
 んで客をくわえこむわけ。旦那がしばらく留守で色気を持て余し
 てるって感じ」
ロクサーヌ「くわしいのね」
人形「師匠と寝物語してるのを聞いたのよ! 私、『おまえはクロ
 ーゼットで寝ろ』って、問答無用で押し入れにつっこまれたのよ
 ! 仕方ないから、一晩中、化粧くさいドレスの隙間につったっ
 て、台詞を暗記してたわ。私は人形だから、生身の女にはかなわ
 ないから、しょうがないんだって」
ロクサーヌ「誰がそう言ったの?」
人形「師匠が」
ロクサーヌ「そう」
人形「ひどいと思わない」
ロクサーヌ「思うわ」
人形「次の朝、さすがに悲しくて口元が故障しちゃったの。どうし
 ても笑えないのよ。お芝居の稽古してても、笑うシーンで笑えな
 いし師匠に申し訳なくって。で、『私のことなんか、もうどこか
 に捨てちゃって、新しい人形を手にいれてください』って言った
 の、そしたら師匠、絶対いやだって、私を捨てるつもりはないっ
 て、だだこねるのよ〜(はあと)」
ロクサーヌ「よかったわね」
人形「でも、つらい」
ロクサーヌ「そうね」
人形「馬鹿にしてる?」
ロクサーヌ「いいえ。ただ、いろいろな恋があると思って」
人形「あんたの恋は、よかった?」
ロクサーヌ「……ええ。たぶんね。ただ、今になって、悔やんでば
 かりいるような」
人形「ややこしいのね」
ロクサーヌ「あなたの恋は、もっと簡単?」
人形「そうよ。悲しいか、幸せかどっちか。で、たいがい幸せなの」
ロクサーヌ「師匠はいい男よね」
人形「そう思う?」
ロクサーヌ「思うわ」
人形「本当に?」
ロクサーヌ「本当に。──どうしたの?」
人形「悲しくなってきた!」
ロクサーヌ「どうして?」
人形「師匠はあんたが誘ったら、絶対ついていくわ。だって、すけ
 べだもん」
ロクサーヌ「何ですって?」
人形「人形じゃない、生身の女が時々ほしくなるんだって」
ロクサーヌ「私はもうおばあちゃんよ」
人形「それが何よ。私なんか人形よ!」
ロクサーヌ「あなたの師匠を口説いたりはしないわ。私には全くそ
 んな気はないから、安心して」
人形「でも……」

  男、登場。

男「ロクサーヌ、あなたのおかげで、構想が少し進みましたよ」
ロクサーヌ「私……あなたとはお話ししたくないわ」
男「どうして?」
ロクサーヌ「どうしても」
男「あれ以上は教えてもらえないと」
ロクサーヌ「ええ、だめ」
男「こわいのですか?」
ロクサーヌ「何が?」
男「自分の中に眠っていた、思いがけない感情を呼び起こすことが。
 最近あなたは昔のことばかり思い出している。そうして思い出に
 ふけってるあなたは、まるで少女のようですよ」
ロクサーヌ「そう見える、こんなおばあちゃんじゃなくて?」
人形「師匠の馬鹿っ!」

  人形、走り去る。

ロクサーヌ「かわいそうなことをするのね」
男「あれは、ただの人形ですよ」
ロクサーヌ「でも、心を持っている。あの子の気持ちを知りながら、
 それを踏みにじるような真似をするなんて、残酷よ」
男「あなただって、男心の一つや二つ、踏みにじったことがあるで
 しょう」
ロクサーヌ「私は、あの人の気持ちを全く知らなかったのよ」
男(シラノ)「そう。あなたは全く気付きもしなかった」


《6》過去

ロクサーヌ「シラノ? どうかなさったの?」
シラノ「いいえ……クリスチャン・ド・ヌーヴィレットという男で
 すか。幸せな奴だ。
ロクサーヌ「でも、まだあの人は私の気持ちをご存じないの」
シラノ「ロクサーヌ、いくら何でも気が早すぎる。あなたは、軍人
 よりも詩人を好むほうでしょう? もしその男が、教養のない人
 間だったら──」
ロクサーヌ「あの人の顔はとっても文学的よ」
シラノ「顔で中身がわかるもんかい」
ロクサーヌ「あの人はパーフェクトなの、すべてが美しいの!」
シラノ「そりゃあね、言葉を発する唇が美しければ言葉も美しくな
 るはずだ──、しかし、もし、そいつがあなたと合わない趣味を
 持つ男だったら?」
ロクサーヌ「趣味は趣味で尊重すればいいのよ」
シラノ「毎週火曜日には狩猟に出かけ、血のしたたる鹿の生首を得
 意気に持って帰る趣味があるかも知れない」
ロクサーヌ「どうしてそんな意地悪を言うの? そんな人だったら、
 我慢できない!」
シラノ「要するに、相手をよく知りもせずに思い詰めているんだ」
ロクサーヌ「だから、お願いがあるの」
シラノ「どんな?」
ロクサーヌ「あの人は、あなたの中隊に配属される予定なの。私宛
 にお手紙をくださいって、伝えていただけないかと思って」
シラノ「だめだ」
ロクサーヌ「私たち目と目でお話ししてるのよ、何度も」
シラノ「じゃあ気持ちはだいたい通じ合っていると?」
ロクサーヌ「そのはずよ。ねえ、シラノ。私、あなたしか相談でき
 る相手がいないの」
シラノ「わかった」
ロクサーヌ「伝えていただける?」
シラノ「確かに伝えよう」
ロクサーヌ「よかった。ねえ、あの人が決闘なんかしないように、
 見張っててね」
シラノ「ああ、見張ってあげよう」
ロクサーヌ「あの人と友達になってくだされば、うれしいんだけど
 !」
シラノ「やってみよう」
ロクサーヌ「ね、お願い」
シラノ「わかった」」
ロクサーヌ「私、都に来て、初め、心細かったの。知り合いはほと
 んどいないし、何をどうしていいのか全然わからなくって……で
 も、あなたがいてくれて、本当に助かってると思う」
シラノ「いとこだからね、ほっとけない」
ロクサーヌ「ありがとう。ねえ、さっき何か言いかけてなかった?」
シラノ「何かって?」
ロクサーヌ「とぼけてる。今度はシラノの番でしょう」
シラノ「何が?」
ロクサーヌ「あなたも恋してるって、さっき言ったじゃない!」
シラノ「ああ、その話ね。その話はまたあとで」
ロクサーヌ「どうして?」
シラノ「やっぱり年下の女の子には話しにくいよ。ロクサーヌはま
 だまだ子供だからね」
ロクサーヌ「私はりっぱに一人前だけど」
シラノ「そうは思わないね。さあ、うちに帰って、手紙でも書いて
 いなさい。あなたの言葉は確かに伝えよう」
ロクサーヌ「そう? じゃあね、シラノ!」

  ロクサーヌ、去る。

シラノ「確かに伝えよう。ロクサーヌの愛の言葉を。俺はそれを、
 自分の名と名誉にかけて、誓う! ……誓いでもしなければ、相
 手を殺してしまいそうだ。……ついてないよ。よりによって、恋
 を打ち明けようと決心したその日に、別の男を好きになってなん
 て話を聞かされるんだもんな。死ぬかと思ったよ」

  溶暗。


《7》過去?

乳母「おとなになったといっても、形だけのこと、ロクサーヌ様は
 相変わらずでした。つまり、せっかちで、わがままで、奔放で、
 愛すべき赤ちゃんのままでした。アラスの戦場からは、よくもま
 あ話の種が尽きないものだと感心するくらい、毎日毎日手紙が来
 ます。ロクサーヌ様はそれに一喜一憂し、郵便配達夫の来る時刻
 が近づくと、屋敷中を歩き回って召使たちをいらいらさせるのが
 常でした。都の噂によると、戦況は思わしくなく、わが軍はかな
 りの苦戦を強いられているとのこと、ところがそれに反して手紙
 の内容はますます熱烈になる様子。ロクサーヌ様はいてもたって
 もいられず、アラスに向けて出発することを決意なさいました。
 あのご気性ですから、私共がとめたって聞きやしません。仕方な
 く、私も決死の覚悟で、戦場までお供することに致しましたので
 す」

男「さて、次なる場面はアラスの戦場。一途な気持ちでアラスの戦
 場に向かうロクサーヌ、その行く手に待ち受ける運命やいかに?」

クリス「ロクサーヌ。僕はずっと嘘をついてきた。君が好きなのは
 本当だけど、僕は、君の望むような恋人にはなれない。だって、
 君が好きなのは、シラノみたいな男だろう?美しい言葉で君を酔
 わせることのできる男だろう?」


《8》過去

  アラスの戦場にて。

シラノ「どうした、クリスチャン!」
クリス「一斉攻撃するしかないのか」
シラノ「ああ。俺たちの運命もこれまでだ。我がガスコーニュの金
 の旗印に、今までになかった血の色を新たに加えるんだ」
クリス「(ため息)」
シラノ「分かるよ」
クリス「せめて、別れの言葉を言えたら……!」
シラノ「今日がその日じゃないかと思っていたよ、俺も。おまえの
 ために、別れの手紙を書いておいた」
クリス「見せてくれ!」
シラノ「見たいのか?」
クリス「当たり前だろう。……何だ?」
シラノ「どうした?」
クリス「この小さなしみは?」
シラノ「しみだって?」
クリス「これは涙だ」
シラノ「そうだ。俺は詩人だ。詩人は自分の言葉に酔うものだ。こ
 の手紙は全く身につまされるような思いで書いた、俺は書きなが
 ら思わず泣いたよ」
クリス「泣いた?」
シラノ「そりゃ、死ぬのはこわくない……ただ、もう二度とあの子
 と逢えないのがつらい。俺はあの子が……、俺たちはあの子を…
 …、おまえはあの子を……」
クリス「その手紙は僕にくれ!」
シラノ「クリスチャン?」
クリス「何でもない」
シラノ「クリスチャン?」
クリス「ロクサーヌは僕を愛してはいない」
シラノ「何を言う!」
クリス「ロクサーヌが愛しているのは、君だ」
シラノ「馬鹿を言うな」
クリス「愛されているのは、僕の才能……僕の言葉だけだ! だか
 ら、本当はロクサーヌが愛しているのは君なんだ、君だって彼女
 を愛しているんだ!」
シラノ「俺が?」
クリス「知っているんだ」
シラノ「その通りだ」
クリス「気が狂うほどにな」
シラノ「それ以上に」
クリス「打ち明けろ」
シラノ「いやだ!」
クリス「何故?」
シラノ「俺は……約束を破ることはできない。名誉にかけて誓った
 んだ、俺はロクサーヌの幸せのために自分の心を殺そうと」
クリス「君は馬鹿だ」
シラノ「馬鹿だ。俺は馬鹿だ」

  ファンファーレの音。

クリス「何だ?」
シラノ「あの旗は、ロバン家の、ロクサーヌの旗だ!」

  乳母が旗を掲げてさっそうと登場。

乳母「私たちは、フランス国王の使者でございます」
シラノ「何だって?」

  あわてて敬礼したところへ、ロクサーヌが登場。

ロクサーヌ「お久しぶり!」
クリス「国王の使者が、あなたですか?」
ロクサーヌ「恋という名のたった一人の王様の使者です」
シラノ「何てことをしてくれたんだ、ロクサーヌ。敵の陣中を突破
 して来るなんて! 一つ間違えば命を落としていたところだ!」
ロクサーヌ「スペインの方々はとってもジェントルメンよ。馬車の
 窓からにっこり笑ったら、すんなり通してくれたわ」
クリス「そりゃ僕だって、君が笑ったら通してしまうよ。だけどね
 ……」
ロクサーヌ「止められた時もあったのよ。その時は、好きな人に逢
 いに行くって言ったら解放してくれたの。皆こわい顔をしてたけ
 ど、スペイン人だって恋のみやびを知る心があるのよ。手を振っ
 て、いってらっしゃいってスペイン語で言ってくれてたみたい」
乳母「ただし、馬車は没収されました」
シラノ「おまえがついていながら何てことをさせるんだ!」
乳母「言い出したら聞かないロクサーヌ様のご気性は、ご存じでし
 ょう!」
シラノ「俺はあとを頼むと言わなかったか?」
乳母「だからこうやってお世話しているんじゃありませんか!」
シラノ「おまえと話していると頭が痛くなってくる。とにかく、ロ
 クサーヌを戦場に置いておくことはできない。早くどこかに逃が
 さないと」
ロクサーヌ「どうして?」
クリス「今から一時間後に、敵に一斉攻撃を仕掛ける」
乳母「せっかくまいりましたのに!」
シラノ「ここは女の来るところじゃない」
ロクサーヌ「わかった。でも十分だけ待って。私の持って来たプレ
 ゼントを味わって欲しいの」

  乳母、ワインをどこからか取り出す。

クリス「ワインだ!
乳母「シラノ様もいります?」
シラノ「いらん」
ロクサーヌ「そんな事をおっしゃらずに。さあどうぞ。

  ワイングラスも持参している。

乳母「フランス軍の勝利を祈念して、乾杯!」
ロクサーヌ「乾杯!」
クリス「乾杯!」
シラノ「乾杯!(やけになっている)」
乳母「戦局のほうはいかがでしょう?」
シラノ「見てのとおりだ。よくない」
乳母「ロクサーヌ様?」
ロクサーヌ「私はここにとどまります」
クリス「ロクサーヌ!」
ロクサーヌ「だめなの?」
クリス「だめだ。帰りを待ってほしいと言いましたが、僕たちはこ
 こで死ぬでしょう」
ロクサーヌ「いいえ、死なせません!」
クリス「あなたを愛しています」
ロクサーヌ「私も愛しています」
クリス「この手紙を読んでほしい。これは、僕の、いや、僕たちの
 あなたへの想いだ」
ロクサーヌ「どうして『僕たち』っておっしゃるの?」
クリス「あなたを想っていたのは、僕だけではない。さよなら、ロ
 クサーヌ。もう行くよ」
ロクサーヌ「クリスチャン!」

  クリスチャン、行ってしまう。

ロクサーヌ「来ちゃいけなかったの? さっきの言葉はどういう意
 味なの?」

  シラノ、一礼して去ろうとする。

ロクサーヌ「待って、シラノ」
シラノ「俺も、行かなくてはなりません。あまり客を待たせるもの
 ではない……」
ロクサーヌ「客?」
シラノ「死神です。連れていかれるのが我々になるか敵になるかは、
 わかりません。けれどもはっきりと言えることは、このアラスの
 戦いで双方とも手痛い打撃を被ることになるだろうと……フラン
 ス中の女たちが、いとしいものを失って泣くだろうと……! で
 は、行きます!」

  シラノ、去る。

乳母「ロクサーヌ様?」

  手紙を広げてみる。

ロクサーヌ「『……ロクサーヌ。僕の魂は、君のそばを離れはしな
 いでしょう。現実のこの世は愚か、あの世までも、ただひたむき
 に君を、君を求めてやまないことを、確信します!』 ──クリ
 スチャン?」

  溶暗。


《9》現在

人形「クリスチャンは死んじゃったの?」
男「鉄砲の弾にあたってな」
人形「あっけないのね。どうして、クリスチャンはロクサーヌと一
 緒に逃げ出さなかったの、そんな危ない場所から?」
男「いろいろ義理があったんだ」
人形「よくわからない」
男「ややこしいからな。同じ人間だって、分からないことが多い。
 特に、こういうほれたはれたの世界は、当事者にしかわからない
 ことばかりだ」
人形「師匠はわかる?」
男「何が?」
人形「クリスチャンと、シラノと、ロクサーヌのこと」
男「さあねえ。ま、シラノは馬鹿だな。──ロクサーヌへの恋は口
 にしないと誓ったが、もっといいやり方があったんじゃないのか
 ? ……あの女を見てみろ。愛した男を二人も失って、しかもそ
 いつらに長年欺かれていたと知ったんだ」
人形「可哀そうね」
男「可哀そう? そんな薄っぺらいものか? ロクサーヌの一生は
 何だったんだ。女の真実は、男の名誉に劣るっていうのか? 大
 体目の前にぶら下がっている愛に気付いていながら痩せ我慢して
 通り過ぎるなんてこと、おかしいよ。──俺ならあんな真似はし
 ないだろうな……そんなことはどうでもいい。とにかくセンセー
 ショナルなストーリーで、観客の涙をたっぷりしぼりさえすれば
 いいんだ。おまえは、クリスチャンの役だったな」
人形「そうよ」
男「奴が死んで、暇になるか」
人形「暇?」
男「二役やろう」
人形「え〜、そんなあ。今まですっごく負担だったのに。クリスチ
 ャンの出番がなくなったんだから、休ませてくれたっていいじゃ
 ない」
男「おまえの新しい役はシラノとロクサーヌの友人で、ル・ブレと
 いう男だ。さあ、そろそろ稽古しろよ」
人形「はい」
男「トザイ、トーザイ……ただいまよりお目にかけまするは、『シ
 ラノ・ド・ベルジュラック』第五幕でございます。詩人、剣客、
 音楽家、打てば響く毒舌の名人、シラノ・ド・ベルジュラックの
 生涯を、詳細な裏付け調査に基づいて描いたものです。シラノは
 いかにして生き、いかにして死んだか……(間)そんなことは、
 誰にもわからないじゃありませんか。ねえ、お客さん」

  男、去る。


《10》過去

  尼僧修道院にて。

ロクサーヌ「あの人は決して遅刻なさらない。毎週金曜日の午後、
 それはきちょうめんに訊ねてきてくれます」
ル・ブレ「シラノの様子をご存じですね?」
ロクサーヌ「何か変わったことでも?」
ル・ブレ「いや、いつもの通りです。何せあいつは敵だらけですか
 らねえ。通りを平気で剣をさして歩き回っていますが、いつ闇討
 ちにあってもおかしくない状況です。あなたからも用心するよう
 に言ってやってください」
ロクサーヌ「あの人は弱みを見せたがらないんです」
ル・ブレ「特にあなたにはね!」
ロクサーヌ「友人のあなたからおっしゃったほうが」
ル・ブレ「聞いてくれませんよ。『軟弱な宮廷詩人のル・ブレ』と
 呼んでからかうんです」
ロクサーヌ「いったい誰があの人の敵なの?」
ル・ブレ「前から警告はしていたんです。……パリ日報に投書しま
 してね。エセ貴族や、私腹を肥やす宗教家や、盗作で生計をたて
 ている作家や、誰でも構わずかたっぱしから攻撃するんです。新
 聞記者は面白いから掲載する、そうしてシラノはますます世間か
 らうとまれると、こういう具合です」
ロクサーヌ「でもあの人の剣の腕は恐れられている、そうでしょう」
ル・ブレ「さあどうだか。あの人は出世しなかったんだ」
ロクサーヌ「本人は気にしていません」
ル・ブレ「そりゃあそうでしょうとも! 束縛もなく、思想も、行
 動も自由を貫いて生きてきたんですから!」
ロクサーヌ「でも、お友達でいてくださる」
ル・ブレ「あの人は命の恩人なんです。僕が昔、夢ばかり見ていた
 頃、有名な政治家の私生活を風刺する歌を作って、怒らせたこと
 があるんです。なじみの居酒屋の帰り道、襲われたところをシラ
 ノが通りかかって助けてくれた。そして今、僕が宮廷でそれなり
 の地位を得ているのも、シラノの紹介によるものです。何から何
 まで世話になっていながら、何一つ恩返しできないのが心苦しい。
 シラノは、僕から与えられるのをいさぎよしとしないんです」
ロクサーヌ「時々、あなたもシラノをうらやむことがあるでしょう
 ? 出世して細かい気苦労ばかりしているあなたと、決して人に
 おもねることをしないシラノと、すっかり生き方が違ってしまっ
 たから」
ル・ブレ「手厳しいですね」
ロクサーヌ「でも、本当のことでしょう」
ル・ブレ「時計が鳴っています」
ロクサーヌ「時間ね。……変ね、今日は遅いみたい。こんなこと、
 初めてよ」
ル・ブレ「門番とおしゃべりしているんでしょう」
ロクサーヌ「そう? いつもなら、もう来ているのに……落ち葉が」
ル・ブレ「風が強くなってきた。中に入って待ちませんか?」
ロクサーヌ「そうね、でももう少しここで。あの人は決して遅刻な
 さらないんです。それに、何物であろうと、あの人がここに来る
 のを止めることなど出来ないはず」
ル・ブレ「来ました」

  シラノ、やってくる。

ル・ブレ「シラノ!」
ロクサーヌ「もう十四年になりますけど、遅刻は初めてね」
シラノ「全くけしからん。間の悪い来客がありましてね。待たせて
 申し訳ない」
ロクサーヌ「その人はお帰りになったの?」
シラノ「いや」
ロクサーヌ「それじゃ……」
シラノ「大丈夫。好きなだけ待っていろと言ってやった」
ロクサーヌ「お友達じゃないの?」
シラノ「とんでもない。借金取りのような奴です」
ロクサーヌ「じゃあ待たせてしまいなさい。今日は晩までいてくだ
 さる約束でしょう?」
シラノ「がしかし、それより早くおいとますることになるかも知れ
 ない」
ロクサーヌ「今ル・ブレさんとあなたの噂をしていたところよ」
ル・ブレ「シラノ!」
シラノ「何だ」
ル・ブレ「顔が真っ青だ、わかってるのか?」
シラノ「今日は冷えるねえ」
ル・ブレ「何かあったのか?」
シラノ「黙ってろ。向こうに行って、マルトさんにお茶を持ってき
 てくれないかって。頼むよ」
ル・ブレ「すぐ戻る」

  ル・ブレ、去る。

ロクサーヌ「この修道院の中でも、あなたは人気があるのよ。敬虔
 なキリスト教徒に改宗させるんだって、皆はりきってるの」
シラノ「いくら説教されたってごめんだね。まあ、だけど、そうだ
 な……冗談がきついかな? ……今夜は俺のためにお祈りするこ
 とを許してあげよう」
ロクサーヌ「珍しいのね、どういう風の吹き回し? でもそれなら、
 私もしょっちゅうしていることよ」
シラノ「落ち葉か」
ロクサーヌ「淋しい感じ」
シラノ「木の枝から地面までのあまりに短い旅だが、末期の美しさ
 を忘れずに散ってゆくのがいい。むざんに散りゆく命もまた何か
 意味があるんだろうな」
ロクサーヌ「作風が変わったみたいね、今日はメランコリックな口
 調よ」
シラノ「軟弱な宮廷詩人に毒されたかな」
ロクサーヌ「今日は新しいニュースはないの?」
シラノ「(新聞を取り出して読み始める)十九日土曜、国王陛下風
 邪を召される。陛下は大いにお怒りになり、風邪の病原菌に死刑
 を賜ったとのこと。日曜、月曜、事件なし。火曜、リグダミール
 夫人の愛人が決闘し、負傷したとのこと。あまりの不面目に、夫
 人は彼に別れを告げたとか告げないとか」
ロクサーヌ「あの人は浮気性よ」
シラノ「火曜、ラ・モングラー夫人はド・フィエスク伯爵に謂って
 いわく『ノン!』と。木曜、錬金術師四人が絞首刑に処せられる。
 金曜、ラ・モングラー夫人はド・フィエスク伯爵に再び答えてい
 わく『ウイ!』と。そして本日二十六日土曜、……」
ロクサーヌ「シラノ!」
シラノ「何? ああ。いや、大丈夫。何でもない」
ロクサーヌ「でも……」
シラノ「アラスで受けた傷がね、ご承知のように時々痛むんです」
ロクサーヌ「ほんとに」
シラノ「何でもない。じきに治る。もうよくなりました」
ロクサーヌ「私たちは互いに傷を持っているのね。私は私の傷を…
 …この昔の傷は今でもうずくの。(手紙を取り出して)この手紙。
 あの人の涙と血のあとが……」
シラノ「あの手紙ですね、いつか読ませると言ったことがあった」
ロクサーヌ「読みたい?」
シラノ「ああ、読んでみたい、今日こそは」
ロクサーヌ「どうぞ」
シラノ「あけていいんですか?」
ロクサーヌ「開いて、読んでください」

  シラノ、離れたところに座って読み始める。

シラノ「『さようなら、ロクサーヌ。僕はもうじき死ぬでしょう。』
 」

  ロクサーヌ、驚いて見る。

シラノ「『なぜか、今夜はあなたのことが思われてなりません。ま
 だ、あなたに想いを十分に伝えきれていないのではないか。そう
 してこのまま死んでゆくのか──そう思うと、悔しくてしょうが
 ないのです。』」
ロクサーヌ「その声は……?」
シラノ「『あなたの笑顔ややさしい身のこなし、うつむいて手を軽
 く額にあててきまじめに考え込んでいる様子などが、突然僕の目
 に浮かんできて……』」
ロクサーヌ「……」
シラノ「『僕は声を限りに叫びたくなる、君への想いを。』」
ロクサーヌ「どこかで聞いたことがある、この声、この読み方」

  ロクサーヌ、近寄る。

シラノ「『ロクサーヌ。僕の魂は君のそばを離れはしないでしょう。
 現実のこの世は愚か、あの世までも、ただひたむきに君を、君を
 求めてやまないことを、確信します!』」
ロクサーヌ「どうして読めるの。こんなに暗くなっているのに」

  間。

ロクサーヌ「本当に、十四年の間ずっと、やさしいお友達という役
 を演じてくださったのですね」
シラノ「ロクサーヌ……」
ロクサーヌ「あなただったの!」
シラノ「違う、ロクサーヌ、違う!」
ロクサーヌ「本当にあの時、私の名前を呼んだのはあなただったの
 ね?」
シラノ「違う、俺じゃない!」
ロクサーヌ「いいえ、あなたよ」
シラノ「違う!」
ロクサーヌ「嘘よ。戦場から下さった手紙も全部あなたでしょう?」
シラノ「違う!」
ロクサーヌ「あの晩バルコニーの下にいたのはあなたでしょう?」
シラノ「違う!」
ロクサーヌ「あの心意気はあなたよ」
シラノ「俺はあなたを恋したりはしない」
ロクサーヌ「いいえ、恋してくださいました」
シラノ「それはもう一人の男、俺の友人です」
ロクサーヌ「あなたです」
ロクサーヌ「十四年もの間、どうして黙っていたの? あの人はこ
 の手紙とは何の関係もないんでしょう、この涙のあとはあなたで
 しょう?」
シラノ「だが、この血のあとはクリスチャンのものです」
ロクサーヌ「じゃあその秘密を、どうして今日になって明かしてし
 まったの? 知らないままのほうがよかった!」

  ル・ブレが駆け込んでくる。

ル・ブレ「軽はずみにもほどがある!」
シラノ「どうした、血相を変えて」
ル・ブレ「ロクサーヌ、この人は起きていたら命が危ないんだ」
ロクサーヌ「何ですって?」
シラノ「そうだ、新聞を読み終えていなかった。二十六日土曜、シ
 ラノ・ド・ベルジュラック、ついに暗殺される。(帽子をとる)」
ロクサーヌ「その包帯! 誰がそんなことを!」
シラノ「正々堂々たる決闘において、剣の切っ先を胸に受けて倒れ
 た……と言いたいが、残念ながら違う。背後から石を投げ付けら
 れて負傷した。相手は知らない顔だ、まだ若かったようだが。ま
 あそれもいいだろう。俺は全てに失敗したんだ、死ぬ時さえも」
ル・ブレ「シラノ!」
シラノ「頼むから泣かないでくれ。最近どうだ、調子は」
ル・ブレ「新作を披露したよ。マンシーニ夫人が気にいってくれた」
シラノ「前途洋々ってところだな」
ル・ブレ「モリエールの芝居を見たか?」
シラノ「いいや」
ル・ブレ「『スカパン』をこの間やった時あの野郎、君の作品の一
 場をそっくりそのまま盗んだんだ。あの有名な『一体全体何が何
 だかわからない。』という台詞までも!」
シラノ「客は受けてたか?」
ル・ブレ「涙が出るほど笑ったよ」
シラノ「それでいい、モリエールはいいことをしてくれたよ。俺は
 人に糧を与えて、自分自身は忘れられる運命なんだ。ロクサーヌ、
 覚えているだろう、あの晩のことを。俺はバルコニーの下の暗闇
 に隠れてたたずんで、俺じゃない別の奴が上っていってあなたの
 キスを勝ち得るのを見ていた。そういうもんだ。俺はあえて認め
 るよ。クリスチャンは二枚目でモリエールは天才だと!」
ロクサーヌ「誰か呼んできます」
シラノ「駄目だ。呼んで帰ってくる頃には、俺はこの世にいないだ
 ろう」
ロクサーヌ「好きです。だから生きていて」
シラノ「駄目だよ。おとぎばなしみたいにはいかないんだ。その言
 葉で俺が生き延びると思うのか?」
ロクサーヌ「私のせいなの?」
シラノ「そんなことは言ってない。ロクサーヌ、あなたのおかげで
 俺の生涯がどんなに幸福なものだったか! このとおり変わり者
 で女に縁のない俺は、あなたのおかげで少なくともやさしい女の
 友達を得ることができたんだ。月はもう出たか?」
ル・ブレ「あそこに」
シラノ「俺のもう一人のガールフレンドだね」
ロクサーヌ「私が想い続けていたのはあなただったのに……」
シラノ「なあル・ブレ、今日こそはあの月にのっかることができる
 ぞ……」
ロクサーヌ「シラノ?」
シラノ「あのおぼろにかすむ月の世界へひとっ飛びだ」
ル・ブレ「間違ってるよ! 君みたいな詩人が……君みたいな立派
 な男が、こんな死に方をするなんて」
シラノ「まだぐずぐず言ってるのか」
ル・ブレ「耐えられない!」
シラノ「やめろよ。物質の本体とは何か? これは問題だ」
ル・ブレ「また例の科学の本だ、死に際でさえも!」
シラノ「コペルニクスも今や常識だ。いやいや、一体全体何が何だ
 かわからない。
   シラノ・ド・ベルジュラックここに眠る
   詩人、剣客、音楽家、
   打てば響く毒舌の名人、
   さてはまた恋の敗北者たる哀れな男、
   彼は全てにして全くの空なりき、
 ──これは今はやりの東洋思想だ、禅とか言う。覚えておけよ。
 さあそろそろ行こう。客をそう待たせてはいけない。月の光も俺
 を迎えてくれる。(ロクサーヌのベールをなでながら)だますつ
 もりはなかった。友人のクリスチャンの死を悼んでやってくださ
 い。もうじき、冷たい死が俺の魂を連れ去るでしょう。その時、
 ほんの少しでいいから俺のことを思って泣いてくれますか?」

  ロクサーヌ、答えない。

シラノ「ここでは駄目だ。(立ち上がる)死神だな? 冷たい靴を
 はかされたのを感じる、手にも冷たい鉛の手かせを……待て、せ
 っかくお迎えくださったんだ、せいぜい歓迎してやろうじゃない
 か!」

  シラノ、剣を抜く。

ロクサーヌ「シラノ!」
シラノ「あいつ、こっちを見てやがる。うかがってやがる。俺が弱
 って助けを求めるのを待ってるんだ。誰がそんなことするもんか
 い! ……無駄名足掻きだって? そんなこと承知の上だ! だ
 がな、俺は勝つとわかっていて戦うのは大嫌いなんだ、負け戦と
 わかってても力を振り絞るのが心意気じゃないのか、え、そうじ
 ゃないのか? 知ってるよ、俺が馬鹿だってことくらい! (切
 りかかる)この顔はよく見かけるな。偽りの亡者だ! これは…
 …妥協、偏見、臆病風の亡者か! 何、降伏しろって? 俺にそ
 んな真似ができるかい、俺はシラノ・ド・ベルジュラックだ! 
 最後に倒れるのは俺だ、それは知っている──だから何だってん
 だ! 俺はあくまで戦う!」

  やがて立ち止まるシラノ。

シラノ「俺のものを皆奪おうというのか? あのみずみずしい薔薇
 の香りも、冬空にひらめく虹も? さあ、持っていけ。だがな、
 あいにくおまえらにはやれないものが、たった一つあるんだよ。
 俺はそいつを携えて、今夜月の世界へと渡っていくんだ。それも
 晴れ渡った青空の下、永遠に幸福の道、チリひとつなく掃き清め
 られたとてつもなくだだっ広い白い道を、おれはただ一人、歩い
 ていくんだ。さあ、……」

  剣を振り上げたシラノ、ル・ブレに抱き止められる。
  力なく倒れかかる。

ル・ブレ「シラノ、聞こえるか?」
シラノ「ああ。見えたよ。俺は、俺の、心意気を持っていくんだ」


《11》現在

ロクサーヌ「ねえ、何をそんなに恐れていたの? どうして真実を
 告げてくれなかったの? 私には男の人の心意気というものがわ
 からない。そんなものにとらわれて、あなたは自分のまことの愛
 を、私はたった一度の人生を、無駄にしてしまった……。恋とか、
 愛とか、もっと簡単なものじゃない? ただそう言ってくだされ
 ばよかったのに。あなたを愛しています……そう言うべき時は過
 ぎ去ってもう取り返しがつかなくなってしまった」
人形「ロクサーヌ」
ロクサーヌ「なあに」
人形「もう、お芝居は終わったのよ」
ロクサーヌ「そう? なんだか、とっても長かったような気がする」
人形「一生分のお芝居だもの」
ロクサーヌ「まだ続いているんじゃないの?」
人形「これはまた別のお芝居よ」
ロクサーヌ「あなたは誰?」
人形「人形よ」
ロクサーヌ「私は……」
人形「あなた? さあ」
ロクサーヌ「なんだか、……くたびれたのかしら、眠くって」
人形「私も。もう休みましょう、明日は早いのよ」

  二人が去ると、男が起き上がる。

男「お気に召しましたでしょうか。哀れと取るか、滑稽と取るか、
 はてまた今時珍しい純粋な恋よと誉めたたえるか……それはお客
 様のお心次第、私共はただ演じてご覧に入れるだけでございます。
 もし、お客様がこのひとときをお楽しみいただけましたなら有り
 難い。私共は風の向くまま軽やかにこの世界を駆け巡るのがなり
 わいです。明日、西の方へ参ります。理由なんてありませんよ、
 ただ何となく。またお会いできるのは、さあ、いつでしょうね。
 ごきげんよう!」


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(以降の文章は著作権表示なので、印刷する場合もコピーする場合
も、その他いかなる形式における複製においても、削除は禁止しま
す)

この脚本は、日本の著作権法および国際著作権条約によって保護さ
れています。「シラノ・ド・ベルジュラック」は山本真紀の著作物
であり、その著作権は作者である山本真紀に帰属するものです。

この脚本を全部あるいは一部を無断で複製したり、無断で複製物を
配布することは、固く禁じます。例外として、ダウンロードした本
人が所属するサークルあるいは劇団内で閲覧するための複製のみ、
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 一、タイトル(『シラノ・ド・ベルジュラック』 脚本・山本真
   紀)から最終行の英文コピーライト表示までが全て含まれて
   いること。
 二、テキストを一切改変しないこと。

上演を行う際には、事前に必ず作者の許可を得る事が必要です。問
い合わせは、作者の主宰する「劇団空中サーカス」へどうぞ。

 「劇団空中サーカス」公式サイト http://www.k-circus.com/

上演許可の申請は、出来るだけ早めに行って下さい。この脚本の使
用料は、無料公演・有料公演といった公演形態に関係なく、申請時
期によって変わります。予算の関係で減額してほしい場合は、ご相
談下さい。

 一、公演初日より三週間以上前に、許可申請がされた場合。
   ・・・五千円。

 二、それ以降(事後承諾含む)の場合。
   ・・・一万円。

上演のための改変は、作者が上演許可を出した公演においてのみ、
認めます。ただし、原型をとどめないほどの改変はご遠慮下さい。
どこまで手を加えたら良いのか分からない場合は、作者あるいは劇
団までお問い合わせ下さい。
なお、改変された脚本の著作権も作者のものとし、改変者には何ら
権利が与えられないものとします。


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